a盛岡・岩手郡・紫波郡 8月 3日 1949 風車で発電機を回せば無灯部落に光明が!(昭和24年8月3日) 昭和24年8月3日の岩手新報より。 どこかの金属加工会社の社長が、水車や風車を使った発電機を開発し、それを厨川小学校で披露するという。 これは、元中島飛行機の技師が考案したもので、水車は落差二尺(60cm)程度で1/2馬力の出力があり、風車はプロペラの大小によって発電用と動力用に分かれており、ラジオ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 6日 1949 盛岡測候所「寒の戻りはしばらく続きましょう」(昭和24年3月6日) 昭和24年3月6日の岩手新報より。 この時期、岩手県内では寒の戻りが続いていたようで、盛岡測候所でも「しばらく続くだろう」と言っていたようだ。 … 続きを読む
m県外・参考 3月 1日 1949 国立仙台電波高等学校が開校します!(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 仙台の無線電信講習所が改組し、国立仙台電波高等学校になるという。 それで生徒を募集している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1949 冬将軍の窮余の反撃?(昭和24年3月1日) 昭和24年3月2日の岩手新報より。 3月1日は、3月としては珍しい大雪となった。 それで、県内各地は雪が積もることとなったのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 17日 1949 暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日) 昭和24年1月18日の岩手日報より。 当時、高松の池はスケートのメッカであり、スケートやホッケーの競技会も行われていた。 そして市民のスケート遊びの馬でもあった。 1月17日の朝10時ごろ、スケートで遊んでいた下小路中学校1年生と、その友人の下橋中学校3年生が、池の真ん中の氷の薄くなっていた所が割け… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 19日 1948 アイオン台風の被害に遭った宮古に宮城県渡波港から救援米が届く(昭和23年9月19日) 昭和23年9月22日の岩手新報より。 アイオン台風の被害に遭った宮古に、宮城県渡波港から救援の米が届いた。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 15日 1947 カスリーン台風 カスリーン台風(カザリン台風、キャサリン台風)が一関市を襲ったのは昭和22年9月15日。 https://youtu.be/KxYCM6ZhTes… 続きを読む
l全県 4月 4日 1943 電話供出に赤誠(昭和18年4月4日) 昭和18年4月4日の新岩手日報より。 国家総力戦の下、重要生産場面の重点要求に応じて、仙台逓信局では、2月16日から管内重要局に呼びかけて、不要不急の電話の供出運動を開始した。 3月31日をもって締め切ったが、105個と言う好成績に達した。 仙台39 塩竈9 青森13 八戸3 盛岡4 秋田13 山形… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 28日 1943 釜石の電話が共電式に(昭和18年3月28日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 釜石郵便局の電話方式が、3月28日から共電式に改正されると言う。 この電話は、エボナイト製のスマートなもので、小声で通話しても非常に感度は良く気持ちよく通話できるのだと言う。 仙台逓信局からは工務部長と電務課長が来て、作業の陣頭指揮に当たった。 新しい方式の電話… 続きを読む
l全県 1月 20日 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む
m県外・参考 1月 16日 1940 米内邸では祝電の山で3分の1は女性から(昭和15年1月16日) 昭和15年1月17日の岩手日報より。 米内新総理が1月16日に宮中で開かれた親任式に臨んでいる時、渋谷竹下町の自宅では全国からの祝電の整理に追われていた。 その数は三百通余り。そのうち3分の1までが女性からであったと言い、「私は米内さんが組閣の大命を拝したとラジオで聞いたときどんなに嬉しかったでしょ… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1月 13日 1940 省営バス浄法寺~荒屋新町間で沿線住民が奉仕的除雪。つまりボランティア(昭和15年1月13日) 昭和15年1月15日の岩手日報より。 前年、省営バス(国鉄バス)二戸線の北福岡~荒屋新町が開業して初めての冬を迎えることになった。 1月13日は浄法寺~荒屋新町間の最も難所とされている陸奥日影~陸奥川原および大柳~荒屋新町間各1キロの除雪を、住民70名余りが「奉仕的に」買って出ることとした。 この結… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 4月 20日 1938 江刺郡広瀬村「仙台逓信局さん!せめて役場と郵便局だけでも電話を!」 昭和13年4月20日の岩手日報より。 江刺郡広瀬村では、バス路線からも遠ざけられ、電話も無いという状態だった。 それで、役場では昭和13年度の予算で村役場と郵便局に電話機を付けることにした。 そして村長は前日19日に仙台逓信局を訪れ「回線を引いてほしい」と請願したのであった。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 12月 13日 1937 ズーズー弁の軍事電報「メイヨノセンシヨウシ」 昭和12年12月13日の東京朝日新聞より。 支那事変で日本軍が南京などで戦闘していた頃のこと。 二戸郡浄法寺村から出征したある一等兵の留守宅に電報が来た。 「メイヨノセンシヨウシ」 つまりこれは「名誉の戦傷死」ということだ。 家族は写真を仏壇に飾って拝んだ。 ところがそれは「名誉の戦傷す」だったのだ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 3日 1935 盛岡の早春はめちゃめちゃな道路(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 冬が去り、水がぬるんできたが、それと同時に盛岡の道はぬかるみでめちゃくちゃになっていた。 当時は、舗装していない道路がほとんどであった。 最もひどいのは、加賀野、天神町、上田、木伏、仙北町方面であったと言う。 この当時、水道工事も進んでおり、水道管の埋設工事のため… 続きを読む
l全県 2月 8日 1935 凶作だった東北6県でなぜか郵便貯金の総額が増加 昭和10年2月8日の読売新聞より。 前年は東北6県は凶作であった。 しかし、仙台貯金支局で発表したところによると、昭和10年1月末現在の貯金額は160,837,346円(+2,154,451円)、人員は2,948,913人(+17,500人)であったという。 もともと東北地方の貯金は貧弱であったとこ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1932 暖冬で高松の池も氷が張らず(昭和7年1月6日) 昭和7年1月6日の岩手日報より。 当時、スケートやホッケーといえば高松の池であったが、暖冬で氷が張らずインカレもできない状態だった。… 続きを読む
m県外・参考 9月 1日 1931 農家なら気になる「二百十日」、昭和6年はどうなる…?(昭和6年9月1日) 一年の節目の一つに「二百十日」というのがある。 これは、立春から数えて210日目のことを言い、毎年9月1日がこれに当たる。 この日は昔から台風がよく来ると言われており、せっかく育ててきた稲が台風で被害に遭うか遭わないかという重大な瀬戸際でもあったから、農家にとっては非常な一大事でもあった。 そこで、… 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 3日 1931 あわや門崎村で自動車強盗事件になるところが暴風雨で命拾い(昭和6年6月3日) 昭和6年9月1日の岩手日報より。 8月31日に19歳の少年と21歳の男を被告に開廷された自動車強盗事件の裁判があった。 これは、6月3日に自動車強盗をやろうとして失敗した。というものである。 主犯は19歳の小柄な少年。 青森の下北半島の生まれで、製材工場のエンジン係として働いていた。 そこで主人のト… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1929 二百十日は無事に過ぎる(昭和4年9月2日) 昭和4年9月2日の岩手日報より。 台風の当たり日であり、農家にとっては1年の実りを根こそぎ持っていかれる恐れのある農家の厄日「二百十日」も、今年は無事にすぎたようである。 写真は盛岡市梨木町の田んぼのようである。見事に稲が実っている。 岩手県立農事試験場の夏作定期調査によれば、この年の稲作は、大暑後… 続きを読む
l全県 9月 1日 1929 震災記念日で二百十日(S4.9.1岩手日報) 9月1日は関東大震災の日として記憶されることとなった。 また、立春から数えて210日の二百十日は、台風の特異日でもあり、農家には恐れられていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 9日 1927 盛岡~宮古は冬でも自動車で郵便を運びますよ!(昭和2年1月9日) 昭和2年1月9日の岩手日報より。 大正14年以来、盛岡~宮古間の郵便輸送は盛宮自動車によって輸送されるようになった。 しかし冬は積雪の為に運転中止され、郵便物は駄馬によりトコトコ運ばれていたという。 しかし、この冬は万難を排して冬でも自動車で輸送すると逓信局と交渉中である、ということだった。 &nb… 続きを読む
0_主要ニュース 1月 8日 1927 暴風で警察電話が全部不通になるなど甚大な被害(昭和2年1月8日) 天気の様子 当時の盛岡測候所の記録を見ると、昭和2年1月7日は降水量12.0mm、1月8日は6.1mmとなったようである。 また、天気図を見ると、昭和2年1月7日は、低気圧が対馬海峡から日本海を北上していることが分かる。 当時は気象レーダーも気象衛星もない。 各地の観測の風向や気圧から、低気圧や前線… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1927 昭和初めての元朝参りは大賑わい(昭和2年1月1日) 昭和で初めてとなる元朝参りは、例年より大賑わいだったようで、盛岡八幡宮では1万人の人出であったという。 昭和2年1月4日の岩手日報より。 昭和2年に日が変わった2時頃には降雨があったようで人混みは一時期絶えたようである。 各神社のお賽銭は以下の通り。 盛岡八幡宮 170円 桜山神社 90円 招魂社 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 12月 26日 1926 金ヶ崎にも特設電話が開通・電話番号(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 金ヶ崎にも特設電話局が開局し、電話番号一覧は以下の通りとなる。 ちなみに特設電話局制度については「台温泉に電話局が開局」(S元.12.26)の項を参照。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12月 26日 1926 花巻の台温泉に特設電話局が開局・電話番号一覧(昭和元年12月26日) 昭和元年12月26日の岩手日報より。 花巻温泉郷の一角・台温泉に特設電話局が開局し、その台電話局に加入する電話番号一覧も皇国に掲載された。 「特設電話局」とは? 主要な都市にしか電話が無かった当時、地方への電話の設置は後回しになっていた。 そこを、地元住民が資金を負担する形で電話局を開局したのが「特… 続きを読む
0_主要ニュース 12月 26日 1926 大正天皇が崩御し、昭和に改元したとき盛岡市内では(昭和元年12月26日) 大正天皇崩御まで 病弱であった大正天皇は、大正15年8月には葉山御用邸で療養することになる。 そして11月にはその病状が毎日報道されるようになり、全国では快癒祈願が行われるようになる。 岩手県内でも例の一部を挙げるだけでも以下の通りとなる。 ・吹雪の中、飯岡尋常高等小学校生徒が村社で大正天皇の平癒祈… 続きを読む