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電気通信省岩手電気通信部「回線待ちの皆さん!共同電話はどうですか!」(昭和26年3月24日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

電気通信省岩手電気通信部「回線待ちの皆さん!共同電話はどうですか!」(昭和26年3月24日)

昭和26年3月24日の「夕刊いわて」より。 電話の架設待ちは、盛岡市内だけでも3300件に登る状況であった。 しかし電通省岩手電気通信部管内の割り当ては80回線のみ。 そこで「多数共同電話」の希望調査を行うことにした。 これは1つの電話番号を3~10人で使用するというもので、普通であれば架設に4万円…
大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日)

昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校)    …
花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日) f花巻・稗貫郡

花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日)

昭和25年9月28日の岩手日報より。 花巻町の電話が、磁石式から共電式に変更になる旨、花巻電話局に通知があった。 近く本格的な工事に取り掛かるということで、花巻町が「花巻市」になることを見込んで、余裕のある要領にするように計画されるといい、共同線の「鈴なり電話」も解消される見込みであるという。 &n…
県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日)

昭和25年2月1日の岩手日報より。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した…
岩手山が雪化粧(昭和24年10月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手山が雪化粧(昭和24年10月31日)

昭和24年11月1日の岩手新報より。 10月31日、盛岡は1.6℃まで気温が下がり、岩手山は雪化粧に見舞われた。 写真はおそらく滝沢かそこら辺の牧場ではないかと考えられる。 見出しでは「零下一度六」と書いているが、気象庁のホームページによれば、盛岡の1949年10月31日の最低気温は1.6℃。 &n…
風車で発電機を回せば無灯部落に光明が!(昭和24年8月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

風車で発電機を回せば無灯部落に光明が!(昭和24年8月3日)

昭和24年8月3日の岩手新報より。 どこかの金属加工会社の社長が、水車や風車を使った発電機を開発し、それを厨川小学校で披露するという。 これは、元中島飛行機の技師が考案したもので、水車は落差二尺(60cm)程度で1/2馬力の出力があり、風車はプロペラの大小によって発電用と動力用に分かれており、ラジオ…
暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日)

昭和24年1月18日の岩手日報より。 当時、高松の池はスケートのメッカであり、スケートやホッケーの競技会も行われていた。 そして市民のスケート遊びの馬でもあった。 1月17日の朝10時ごろ、スケートで遊んでいた下小路中学校1年生と、その友人の下橋中学校3年生が、池の真ん中の氷の薄くなっていた所が割け…
電話供出に赤誠(昭和18年4月4日) l全県

電話供出に赤誠(昭和18年4月4日)

昭和18年4月4日の新岩手日報より。 国家総力戦の下、重要生産場面の重点要求に応じて、仙台逓信局では、2月16日から管内重要局に呼びかけて、不要不急の電話の供出運動を開始した。 3月31日をもって締め切ったが、105個と言う好成績に達した。 仙台39 塩竈9 青森13 八戸3 盛岡4 秋田13 山形…
釜石の電話が共電式に(昭和18年3月28日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石の電話が共電式に(昭和18年3月28日)

昭和18年4月1日の新岩手日報より。 釜石郵便局の電話方式が、3月28日から共電式に改正されると言う。 この電話は、エボナイト製のスマートなもので、小声で通話しても非常に感度は良く気持ちよく通話できるのだと言う。 仙台逓信局からは工務部長と電務課長が来て、作業の陣頭指揮に当たった。 新しい方式の電話…
郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) l全県

郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日)

昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし…