a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 6月 1951 入梅となりました!傘と雨具と履物は当店で!(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 梅雨の時期に入り、雨具や傘の広告に余念がない盛岡市内の各店舗。 当時はコンビニで買うとかそういう時代ではなかった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 14 6月 1951 与の字橋・入道雲・女子高生(昭和26年6月14日) 昭和26年6月14日の「夕刊いわて」より。 中の橋と上の橋の間にある与の字橋の向こうには入道雲が立っている。 そして遠足帰りの女子高生が渡る。 与の字橋の向こうにある女子校というと、盛岡二高(上の橋町)だろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 3月 1951 公衆電話に紙幣以外を入れる不心得者 昭和26年3月27日の「夕刊いわて」より。 2月における盛岡市内の使用回数は2,703回で、個々のボックスだと以下のようになっていたという。 【多い順】 内丸 96回 駅前 90回 夕顔瀬 61回 【少ない順】 青山町 26回 これに対し、収入は1,881円77銭で、821円が不足しているという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 3月 1951 電気通信省岩手電気通信部「回線待ちの皆さん!共同電話はどうですか!」(昭和26年3月24日) 昭和26年3月24日の「夕刊いわて」より。 電話の架設待ちは、盛岡市内だけでも3300件に登る状況であった。 しかし電通省岩手電気通信部管内の割り当ては80回線のみ。 そこで「多数共同電話」の希望調査を行うことにした。 これは1つの電話番号を3~10人で使用するというもので、普通であれば架設に4万円… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 12月 1950 早くも年賀状や門松と正月ムード(昭和25年12月4日) 昭和25年12月4日の岩手新報より。 盛岡市内では早くも年賀状やら門松やらの正月ムードに入っていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 11月 1950 大雪で特に県南は混乱(昭和25年11月29日) 昭和25年12月1日の岩手新報より。 11月29日は県内で広く雪が降ったようで、鉄道のダイヤが乱れるなど、県内で大きな影響を及ぼしたようである。 特に、県南ではその影響が甚大だったようだ。 それでも、子供たちは雪に大喜びだったようだ。 (写真は盛岡の中心部の杜陵小学校) … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 28 9月 1950 花巻で電話が磁石式から共電式に(昭和25年9月28日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 花巻町の電話が、磁石式から共電式に変更になる旨、花巻電話局に通知があった。 近く本格的な工事に取り掛かるということで、花巻町が「花巻市」になることを見込んで、余裕のある要領にするように計画されるといい、共同線の「鈴なり電話」も解消される見込みであるという。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 7月 1950 暑波襲来(S25.7.2岩手新報) 盛岡に夏が訪れ、「オフィス・ガール」も日傘を差して歩いている。 おそらくは旧県立図書館のところから中の橋を望んだ写真。 向こうは現在の岩手銀行赤レンガ館。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1950 料飲街不況でキャバレーも食料品店に早変わり(S25.2.13新岩手日報) インフレなどで料飲店は不況だったようで、盛岡で数少ないキャバレーも食料品店に早変わりするという有様であったと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 2月 1950 大雪が大雨になり県内で大混乱(昭和25年2月9日) 昭和25年2月11日の新岩手日報より。 8日の大雪は、暖気の流入で9日には大雨となったようで、県内では道路や電線に影響が出たようだ。 盛岡市内でも道路がぬかるみとなり、かなりひどい状況に。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 2月 1950 岩手公園で「雪の芸術祭」(昭和25年2月6日) 昭和25年2月6日の新岩手日報より。 岩手公園では「雪の芸術祭」が行われ、盛岡市内の子どもたちによる雪像が多く並べられたという。 … 続きを読む
b二戸・二戸郡 4 2月 1950 県北で激甚な吹雪の被害(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 1月31日の猛吹雪により、県北では激甚な被害が発生した。 特に学校や開拓農家では、被害が大きかったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 2月 1950 山のボンペイ街のチャコ「吹雪」(昭和25年2月1日) 昭和25年2月1日の新岩手日報より。 連載されていた「山のボンペイ街のチャコ」では、冬の吹雪について扱っている。 この時期であれば、冬型の気圧配置によるものだろうか。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 31 1月 1950 県内各地で大雨が降り洪水(昭和25年1月31日) 昭和25年2月1日の岩手日報より。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した。 暦の上では、大寒だと言うのに、1月30日から30一日にかけて、徳永の雨が降り、県内の風が増水し、各地の道路が浸水する被害が発生した… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 31 1月 1950 暴風雨で下閉伊郡北部に甚大な被害(昭和25年1月31日) 昭和25年2月3日の新岩手日報より。 1月31日、暴風が吹き荒れて、岩泉町や田野畑村といった下閉伊郡北部で甚大な被害が報告された。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 12 1月 1950 盛岡電話局は機械も古く人手不足(S25.1.12岩手新報) 盛岡電話局管内の加入電話数は1573件であったというが、機械も古く人手不足で、容量はなかったのだと言う。 特に、日中の県庁や市役所は最も通話数が多かったのだという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1949 岩手山が雪化粧(昭和24年10月31日) 昭和24年11月1日の岩手新報より。 10月31日、盛岡は1.6℃まで気温が下がり、岩手山は雪化粧に見舞われた。 写真はおそらく滝沢かそこら辺の牧場ではないかと考えられる。 見出しでは「零下一度六」と書いているが、気象庁のホームページによれば、盛岡の1949年10月31日の最低気温は1.6℃。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 8月 1949 風車で発電機を回せば無灯部落に光明が!(昭和24年8月3日) 昭和24年8月3日の岩手新報より。 どこかの金属加工会社の社長が、水車や風車を使った発電機を開発し、それを厨川小学校で披露するという。 これは、元中島飛行機の技師が考案したもので、水車は落差二尺(60cm)程度で1/2馬力の出力があり、風車はプロペラの大小によって発電用と動力用に分かれており、ラジオ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 3月 1949 盛岡測候所「寒の戻りはしばらく続きましょう」(昭和24年3月6日) 昭和24年3月6日の岩手新報より。 この時期、岩手県内では寒の戻りが続いていたようで、盛岡測候所でも「しばらく続くだろう」と言っていたようだ。 … 続きを読む
m県外・参考 1 3月 1949 国立仙台電波高等学校が開校します!(昭和24年3月1日) 昭和24年3月1日の岩手新報より。 仙台の無線電信講習所が改組し、国立仙台電波高等学校になるという。 それで生徒を募集している。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 3月 1949 冬将軍の窮余の反撃?(昭和24年3月1日) 昭和24年3月2日の岩手新報より。 3月1日は、3月としては珍しい大雪となった。 それで、県内各地は雪が積もることとなったのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 17 1月 1949 暖冬のために高松の池で氷が割れてスケートの中学生が溺死(昭和24年1月17日) 昭和24年1月18日の岩手日報より。 当時、高松の池はスケートのメッカであり、スケートやホッケーの競技会も行われていた。 そして市民のスケート遊びの馬でもあった。 1月17日の朝10時ごろ、スケートで遊んでいた下小路中学校1年生と、その友人の下橋中学校3年生が、池の真ん中の氷の薄くなっていた所が割け… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 19 9月 1948 アイオン台風の被害に遭った宮古に宮城県渡波港から救援米が届く(昭和23年9月19日) 昭和23年9月22日の岩手新報より。 アイオン台風の被害に遭った宮古に、宮城県渡波港から救援の米が届いた。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 15 9月 1947 カスリーン台風 カスリーン台風(カザリン台風、キャサリン台風)が一関市を襲ったのは昭和22年9月15日。 https://youtu.be/KxYCM6ZhTes… 続きを読む
l全県 3 9月 1947 二百十日が無事過ぎる(S22.9.3新岩手日報) 台風の特異日である「二百十日」は、農家にとって収穫を根こそぎ奪われるリスクの高い日で恐れられていた。 この年は、無事平穏に済んだようである。 … 続きを読む
l全県 4 4月 1943 電話供出に赤誠(昭和18年4月4日) 昭和18年4月4日の新岩手日報より。 国家総力戦の下、重要生産場面の重点要求に応じて、仙台逓信局では、2月16日から管内重要局に呼びかけて、不要不急の電話の供出運動を開始した。 3月31日をもって締め切ったが、105個と言う好成績に達した。 仙台39 塩竈9 青森13 八戸3 盛岡4 秋田13 山形… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 3月 1943 釜石の電話が共電式に(昭和18年3月28日) 昭和18年4月1日の新岩手日報より。 釜石郵便局の電話方式が、3月28日から共電式に改正されると言う。 この電話は、エボナイト製のスマートなもので、小声で通話しても非常に感度は良く気持ちよく通話できるのだと言う。 仙台逓信局からは工務部長と電務課長が来て、作業の陣頭指揮に当たった。 新しい方式の電話… 続きを読む
l全県 20 1月 1942 郵便局で「感謝貯蓄」スタンプ(昭和17年1月20日) 昭和17年1月20日の岩手日報より。 新聞記事によれば「打倒英米を目指し大東亜に雄渾なる聖戦の展開するにつれ各方面に於ける軍の赫々たる捷報は、いま国民を感謝と感激の渦に浸らせている」のだそうで、郵便局では「感謝貯蓄」運動を展開していた。 それで全国の郵便局は、「感謝貯蓄」スタンプを通帳に推すことにし… 続きを読む