備考※1 7月 1日 1986 【参考】ベトちゃんドクちゃん 中日ニュースで昭和61年7月1日公開とのこと。 「ベトちゃんドクちゃん」話題になりましたね。 たしかベトちゃんは亡くなり、ドクちゃんは成人して結婚したはず。 https://www.youtube.com/watch?v=byycyn-1IYU… 続きを読む
備考※1 8月 8日 1968 【参考】札幌医大和田寿郎教授による初の心臓移植手術(昭和43年8月8日) 色々な議論や問題を巻き起こした。 https://www.youtube.com/watch?v=dNktdS8D3aY … 続きを読む
備考※1 4月 5日 1968 【参考】米軍王子野戦病院問題(昭和43年4月5日) この時期、ベトナム戦争期であり王子に野戦病院建設という問題が起こっていた。 https://youtu.be/hCR3lhudgnE … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 8日 1968 難病手術の献血のために37人がバスで釜石から仙台へ(昭和43年3月8日) 昭和43年3月14日の岩手東海新聞より。 釜石市内に、心室中隔欠損症の中学3年生がおり、手術が必要な状態であった。 このことを昭和43年2月27日の岩手東海新聞で「仙台の東北大学病院で手術が必要だが、愛の献血をお願いします」と呼び掛けたところ、釜石市内の37人がこれに応じ、3月8日の手術に際し、貸し… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 2日 1966 大槌病院が開院式(昭和41年3月2日) 昭和41年3月3日の岩手東海新聞より。 県立大槌病院では、開院式を行なった。 まだ末広町にあった時代。 … 続きを読む
m県外・参考 2月 2日 1966 令和でも通じるセンスのキャベジンの広告(昭和41年2月2日) 昭和41年2月2日の岩手日報の広告欄より。 キャベジンの手書き風広告は令和4年となったこの記事を書いている現在でも通用しそうなセンスである。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 11日 1966 花泉町で成人記念の献血(昭和41年1月11日) 昭和44年1月12日の岩手日報より。 この年の西磐井郡花泉町の成人者は205名いたが、会場となる花泉町公民館では「交通事故が増えているので、血液が不足している時でもあり、献血してはどうか」と提案、青年たちも賛成し、盛岡の日赤岩手県本部から献血車「まごころ号」を回送してもらった。 そして新成人30人が… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 1日 1965 乳児死亡率ゼロのためには医師不足の解決も必要(昭和40年4月1日) 昭和40年4月1日の岩手日報より。 この時期、岩手県の乳児死亡率は全国最悪レベルで、社会問題となっていた。 そのためには、色々な問題があったが、ここでは医師の問題を取り上げている。 岩手医大でも、医師不足になる構造的問題があった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 1日 1964 お医者さん親善ラグビーで岩手ドクターズが関西ドクターズに敗れる(昭和39年11月1日) 昭和39年11月2日の岩手日報より。 お医者さんラガーは4年に1回、大会を行っていたのだそうで、その4年に1回が待ちきれず、岩手医大OBで組織される「岩手ドクターズ」と、「関西ドクターズ」が盛岡市上田の黄金ラグビー場で新全試合を行ったのだという。 結果は8-3で関西ドクターズの勝利。 このお医者さん… 続きを読む
備考※1 7月 10日 1964 【参考】売血の「黄色い血」が問題に 昭和39年7月10日公開の中日ニュースより。 3月に発生したライシャワー米大使刺傷事件により、日本国内における売血が問題になった。 当時、売血は貧困層の生活手段となっており、売血のし過ぎによる「黄色い血」や、肝炎が問題になっていた。 https://www.youtube.com/watch?v=B… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 4日 1964 釜石の刺傷ざたが市民の献血で救われる(昭和39年1月4日) 昭和39年1月6日の岩手東海新聞より。 港町・釜石は常に流れ者が絶えず、喧嘩も勃発していたが、ついにナイフでの刺傷沙汰になってしまった。 刺された方は、県立釜石病院に運ばれたが、生命危篤となっていた。 このような時、献血を呼びかけ、この時はギリギリのところで助かったのだと言う。 このこ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 7日 1963 一関市では乳幼児の国保10割給付で乳幼児の死亡減少(昭和38年9月7日) 昭和38年9月7日の岩手報知より。 一関市では国民健康保険の新しい措置として、4月1日から生まれて6ヶ月以内の乳幼児の保険を全額負担とすることにした。 それから6ヶ月が経とうとしているが、乳幼児の死亡率が見事に減少しているという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 5日 1963 釜石製鉄所内43ヶ所に救急車到着地点表示(S38.9.5岩手東海新聞) 当時の釜石製鉄所は、救急車の到着地点が定かではなく、急患が発生しても、どこで救急車が止まればいいのかわからず、到着の遅延等発生したようだ。 それで、構内43カ所に「救急車到着地点」を定めて、その標識を作成したのであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 28日 1963 盛岡少年院に「イレズミを除去する器械」 昭和38年5月28日の岩手日報より。 盛岡少年院に、入れ墨をとる器械が入ったのだという。 正式には「自動調節付き電気メス」というのだそうで、真空管から電気メスに6.83メガサイクルの高周波を発信させ、メスと人体表面との接触部分に破壊作用を起こさせる仕組みなのだという。 東北地方の少年院ではここにしか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 30日 1963 普代村から盛岡にヘリコプターで救急搬送(S38.3.30岩手日報) 普代村で、がけ崩れに巻き込まれた中学生が自衛隊のヘリコプターで盛岡に緊急搬送され、手術が成功したというニュース。… 続きを読む
備考※1 3月 17日 1963 【参考】サリドマイド薬害 昭和38年3月17日の中日ニュースより。 岩手県にも患者はいたのだろうか。 https://youtu.be/XAvVlVZH1EU… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 7日 1962 松尾鉱山の退職者が釜石線の車内で切腹(昭和37年11月5日) 昭和37年11月7日の河北新報岩手版より。 11月5日夜23時25分ごろ、釜石線の下りの釜石行きの列車が、洞泉駅に差し掛かった頃、前から2両目の列車の乗客が突然ナイフで腹を切って自殺しようとした。 他の乗客がこれを止めて、県立釜石病院に収容したが、全治1週間の怪我で命に別状はなかった。 自殺を図った… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 7月 26日 1962 病気の父親のためにウナギを密漁しようとしたら感電死(昭和37年7月26日) 昭和37年7月28日の胆江日日新聞より。 水沢市の佐倉河に住む29歳の男は、土用の丑の日に、病気の父にウナギを食べさせるために、付近の谷地川に自宅の作業場から電線を引いて密漁をしようと思っていたら感電死したと言う。 この29歳の男性、水沢市青年協会の会長や、水沢市相撲協会の大関など、多方面で活躍して… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 5日 1962 県立江刺病院にガストロカメラとレントゲン導入(昭和37年2月5日) 昭和37年2月5日の岩手民声新聞より。 前年来、本館建設など江刺唯一の総合病院として施設の充実を進めている県立江刺病院に、最新式のレントゲン撮影機1台と、胃を調べるガストロカメラ2台が導入されることになった。 レントゲンは島津製作所製で、購入額も2,800,000円と、旧式の2倍以上するものである。… 続きを読む
備考※1 6月 30日 1961 【参考】ポリオ禍 中日ニュースにて昭和36年6月30日公開。 岩手でも昭和35年頃ポリオは問題になりました。 https://www.youtube.com/watch?v=AK74Y4cj9b4 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 22日 1960 ポリオ禍は釜石にも(S35.9.22岩手東海新聞) 昭和35年は全国的にポリオで子供たちが苦しんだ年であった。 釜石でもその惨状を報じている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 2日 1960 釜石でトウキミから赤痢(昭和35年9月2日) 昭和35年9月5日の岩手東海新聞より。 9月2日現在、釜石市内では赤痢患者が137名にも達していたという。 釜石市衛生課で調べたところ、記事の表現をそのまま借りれば「トウキミを食べて、消化不良を起こし、赤痢になったケースが多くなっているという。」ということであった。 ここで注目したいの… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 30日 1958 一関に黄毒蛾あらわる!(昭和33年8月30日) 昭和33年8月30日の岩手報知より。 この日の紙面では、一面トップで「又も黄色毒蛾現わる」ということを講じている。 そして、これが報じられた時点で一関保健所管内でも45人の被害者が発生していたのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 12日 1958 県立南光病院で色彩による精神療法(昭和33年8月12日) 昭和33年8月12日の岩手報知より。 県立南光病院は県南の精神医療のセンターであるが、色彩療法を始めるという。 … 続きを読む
j東磐井郡 5月 20日 1958 僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報で報じられたニュース。 東磐井郡室根村の折壁診療所の55歳になる所長が、地位を利用して院内の麻薬を自分に打ち、業務上横領・麻薬取締法違反の疑いで一関区検察庁に書類送検されたという。 昭和30年~32年の間に、注射63本、粉末麻薬65グラムを無断で使用し、それがカルテに残… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1月 12日 1958 痔(ガッチャキ)はなおる!(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 デーリー東北は北奥圏(一戸~九戸までX戸と付く地域)全体の新聞であるとは言え、やはり青森の新聞でる。 「痔」などと言われても青森の人には理解できるわけはないので、ちゃんと「ガッチャキ」をと入れるわけです。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 4月 21日 1957 平泉でニセ医者騒ぎ 昭和32年4月21日の読売新聞で第一報が報じられている。 令和の今となっては世界遺産にまで認定された中尊寺金色堂のある平泉町の北上川を挟んだ向こうに西磐井郡長島村があり、この記事の2年前の昭和30年4月15日に、平泉町と合併することとなった。 昭和32年4月23日読売新聞岩手版より。借買いした白衣を… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 3日 1957 岩手にも被爆者がいた(S32.4.3岩手日報) 広島の原爆から12年が経ったが、原爆症で療養している人は岩手にもいた。 原爆から8年が経過した昭和28年ごろ発病し、この時点で毎日輸血が必要な体になっていたのだという。 この時期、イギリスではクリスマス島で水爆実験を行うということが話題になっており、この抗議として「この体を見ろ」と取材に応じたもの。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 29日 1957 岩手県内看護学校入学案内(昭和32年1月29日) 昭和32年1月29日の河北新報岩手版より。 看護学校の入学案内。 中卒程度の准看護師の方が需要があったのだろうか。… 続きを読む