m県外・参考 10月 1日 1957 八戸のキャバレー「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」(昭和32年10月1日) 昭和32年10月1日のデーリー東北より。 八戸のキャバレーは「秋の夜ですもの。お会いしたいわ」と。 この時期は、話し言葉もこんな「てよだわ調」だったのだろうか。 デーリー東北なら岩手県でも久慈や二戸ぐらいなら購読者がいる。 何かの用事で八戸に行ったついでに寄った人もいたかもしれない。 … 続きを読む
m県外・参考 4月 20日 1957 タカラビール出荷します 昭和32年4月20日の岩手日報の広告欄より。 宝酒造は京都に本社があり、工場が岩手県内にある訳でもないので直接岩手に関係があるわけではないが、迫力のあるコマーシャルなので載せることに。 また、現在の自動車のナンバーが何故トラックが「1」で、バスが「2」なのか分かったような気がしたのだ。 自動車という… 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 28日 1957 一関で荷馬車引きが県南バスの運転手を殴る 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月28日の夕方5時ごろ、一関市山目変電所前の県道上で、荷馬車業の男3人が酔っぱらって道に広がって歩いていた。 そこへ後ろから県南バスがやってきた。 「おい!そごの酔っ払い!通れねえべ!どげ!」 「何このーーー!?」 後はもう石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の世… 続きを読む
l全県 1月 3日 1957 岩手県内の公共企業体から新年の挨拶(昭和32年1月3日) 昭和32年1月3日の河北新報岩手版より。 岩手県内の公共企業体… 国鉄や専売公社などから新年の挨拶広告。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 22日 1956 「ノンベエの地獄」盛岡の歓楽街の時間外営業を厳しく取り締まり(昭和31年1月22日) 昭和31年1月22日の河北新報岩手版より。 この当時、風俗営業法では料飲店の営業時間は深夜11時までと決まっていたようだった。 警察も年末年始や花見のシーズンぐらいはとお目こぼししていたところが、この時期になると不景気風が吹き始めたせいか、時間を守らないのが常態化していた。 これではうるさくて近隣の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 6日 1956 盛岡市内のキャバレー営業時間取り締まり(昭和31年1月6日) 昭和31年1月8日の岩手日報より。 盛岡警察署では、風俗営業法によるキャバレーの飲食時間を内偵していた。 風俗営業法では、キャバレーは11時が営業時間になっていたのである。 そして、1月6日23:30を期して、3班に分かれて盛岡市内の「ハレム」「フロリダ」「レンボー」を急襲して、証拠写真の撮影などを… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 18日 1955 火災に無防備な老朽県庁 昭和30年11月18日の岩手日報より。 明治36年(1903年)に建てられた県庁 この当時の岩手県庁は、明治36年11月に完成し、築53年であった。 53年もやってればそれは書類だって増える。 つもりに積もった書類に、火災報知機も無く火災のリスクは非常に高い状態となっていた。 そこで、火災シーズンを… 続きを読む
l全県 11月 7日 1955 県内の飲食店にも「公給領収証」 昭和30年11月7日の岩手日報より。 11月1日から、遊興飲食税が大幅引き下げになった。 ただし、そのためには1回の支払いが500円以上になった場合に県で作成して領収書を渡さないと行けなくなった。 これが「公給領収証」である。 これは飲み屋だけではなく、芸者、赤線、果ては喫茶店までも同様に適用される… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 8月 13日 1955 気仙の銘酒といえば酔仙(昭和30年8月13日) 昭和30年8月13日の河北新報岩手版より。 広告欄には酔仙酒造の広告が載っている。 陸前高田の酒造会社であり、岩手を代表する酒蔵でもある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 17日 1955 盛岡警察署と盛岡税務署が濁密を摘発 盛岡税務署は盛岡警察署の応援を得て、市内で「第三国人を主とする濁酒密造ならびに密売所を急襲」(昭和30年5月18日の岩手日報の記述ママ)した。 一部では抵抗もあったようだが、市内7か所での戦果としては以下の通り。 オケ9個 カメ7個 一升ビン12本 玄米7斗 密造道具3点 「濁密」つまりドブロクのこ… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 14日 1955 バス転落事故の現場を見に行こうとした野次馬のオート三輪が転落し死傷(昭和30年5月14日) 稗貫郡花巻町が市になって翌年の花巻市内のダンスホールにて。 「おい、バスが橋から落ちたんだってよ!」 「ほんとに!?どこで!?」 「飯豊橋だって」 「北上に行く方の!?」 「行ってみるべ!」 31歳のマダムと25歳の客は、後輩になる22歳の八百屋の店員にオート三輪を出させて夜の4号線を北上に向かって… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 24日 1955 第27回衆議院選挙:日詰で演説中に酔っ払いオート三輪に突っ込まれ即死 昭和30年8月24日の夜9時前のこと。 衆議院選挙で岩手1区から立候補していた似鳥吉治候補(62歳 無所属 岩手新報社長)は、紫波町日詰のヒノヤタクシーの前で演説していた。 そこへ、盛岡市内の某商会のオート三輪が演説会の中に突っ込んできて、候補は頭を打ち、日詰病院に収容されたが間もなく死亡してしまっ… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 29日 1953 水沢花柳界麗人人気投票(昭和28年11月29日) 昭和28年11月29日の胆江日日新聞より。 胆江日日なので水沢の花柳界なのだとは思うが、人気投票をしている。 で、主催はこの胆江日日新聞ではなく「陸中新報社」。 Googleで検索しても出てくるわけではなく、全くわけがわからない。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 11月 2日 1953 一関税務署「全国濁酒密造防止宣伝週間です!」(S28.11.2岩手日日) 一関税務署ほかが、全国濁酒密造防止宣伝週間ということで、各町村を回って試飲会を行うという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 9日 1953 胆江地方のタバコ消費状況(昭和28年10月9日) 昭和28年10月9日の胆江日日新聞より。 専売公社出張所(盛岡にあるのか水沢にあるのか不明)によれば、胆江地方での4月~9月のたばこの消費状況は目標を超える53,637,450本(75,665,694円)であったという。 銘柄別には最高と最低は以下の通り。 最高:バット 23,349,600本(39… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 3月 2日 1953 綾里村で2歳の子が急性アルコール中毒で死亡(昭和28年3月2日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 気仙郡綾里村のある農家で、2歳の女の子が突然苦しみだし、ついには死んでしまった。 死因を調べたところ、前の日の夜、父親が飲んでいた焼酎をそのままにしていたものを誤って飲んだらしい。 … 続きを読む
l全県 7月 22日 1951 お酒が嫌いになる薬(昭和26年7月22日) 昭和26年7月22日の「夕刊いわて」より。 広告欄には「お酒が嫌いになる薬」なんてのがある。 この当時でも、旦那の酒好きに手を焼いていた奥様方は相当いたのだろう。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 19日 1951 夏は工場直送の生ビールで!(昭和26年7月19日) 昭和26年7月19日の「夕刊いわて」より。 夏だけにビヤホールの広告が出ている。 価格は出ていない。 … 続きを読む
m県外・参考 4月 14日 1951 輸出向けの「清酒の缶詰」(昭和26年4月14日) 昭和26年4月14日の「夕刊いわて」より。 岩手で清酒の話題というので岩手川?酔仙?と思ったら神戸の灘だという。 まあ岩手県内のローカル新聞に掲載された話題ということでお許しいただきまして・・・ ともかくも灘では、輸出向けに「清酒の缶詰」を製造するという。 これまで技術的に不可能だったのは、缶の内部… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 21日 1951 「岩手川」は一升370円(昭和26年3月21日) 昭和26年3月21日の「夕刊いわて」より。 後年「岩手川」で知られる浜藤酒造店が広告を出している。 「雄渾」という酒は一升370円だと。 … 続きを読む
l全県 2月 5日 1951 麗人東北投票迫る!(昭和26年2月5日) 昭和26年2月5日の岩手新報より。 この時期「麗人東北」と言う美人コンテストを行っていたようである。 エントリーしたのは、岩手県内の各花街の美人達だったようである。 … 続きを読む
l全県 9月 27日 1950 東北の一級酒審査の合格率は岩手が筆頭(昭和25年9月27日) 昭和25年9月28日の岩手日報より。 昭和25年度の一級種審査会は、9月27日10時から仙台国税局で国立醸造試験所長を招き行われた。 審査項目は官能検査(実際に味わう)、化学審査で、東北6県の116店のうち、95点が一級種として合格した。 県別の合格率は以下の通り。 青森 84.6% 岩手 92.3… 続きを読む
j東磐井郡 7月 1日 1950 千厩銘酒「玉の春」の井戸が梅雨で埋没(S25.7.1岩手新報) 梅雨による大雨で県南に土砂崩れが発生し、千厩の銘酒「玉の春」の井戸も埋没してしまったというニュース。 ただ、仕込みの時期ではなかったのが不幸中の幸いか。 ちなみに「玉の春」は令和6年現在も千厩で盛業中。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 12日 1950 不良化する盛岡の盛岡の戦後派学生(S25.1.12岩手新報) 盛岡市警察署管内でも、青少年は不良化しているようであった。 ダンスホールで不純異性交遊するなど。 … 続きを読む
l全県 7月 6日 1949 密造酒は所持しているだけで罰せられますよ!(昭和24年7月6日) 昭和24年7月6日の岩手新報の広告欄より。 岩手県内の各税務所や岩手県酒造組合などが連合で意見広告を出した。 「密造酒は所持していても罰せられる!!」 そのくらい深刻な問題になっていた時期であった。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 7月 1日 1946 酒1升のために米3升の配給を辞退した人はいる?(S21.7.1新岩手日報) 読者からの投稿欄。 この時代は配給なしには生きられない時代であったが、「酒1勝の配給のためには米3升を辞退しなければいけない」ということになっていたようだが、それを実行した人はいたのだろうか?という花巻の人の問い。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 31日 1941 盛岡ではもっきり酒も公定価格(昭和16年10月31日) 昭和16年11月2日の岩手日報より。 盛岡では居酒屋のもっきり酒の適正配給を図るために「第二盛岡飲食店組合」が結成され、10月31日の夜に結成総会が開かれた。 盛岡警察署長と盛岡税務署長が顧問となった。 そしてもっきり酒の公定価格を以下のように定めた。 1合 上等 25銭 1合 並等 22銭 &nb… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 16日 1940 米内総理就任を祝し、岩手県知事が銘酒「岩手川」を贈る(昭和15年1月16日) 昭和15年1月16日の岩手日報より。 米内光政の勝利大臣就任を祝し、雪沢岩手県知事は銘酒「岩手川」の四斗樽1本を贈ることとした。 1月16日16:10の仙北町発列車で送られることとなった。 確かに「岩手川」の工場は仙北町である。 … 続きを読む
m県外・参考 11月 8日 1936 飲酒運転に罪悪感ゼロの4コマ漫画 昭和11年11月8日の読売新聞の広告欄より。 岩手とは関係のない話題ではあるが、「これは?」と思ったのであえて掲載することに。 全国版に京都の蔵元「キンシ正宗」が広告に出している4コマ漫画。 キンシ正宗を持った紳士がタクシーを呼ぶ。 「僕の家まで50銭で行かんか」「だめです」 「キンシ正宗を飲んでか… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 3日 1935 上閉伊郡金沢村では「村民絶対禁酒」(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 上閉伊郡金沢村では、更生村民大会において、村民は絶対禁酒で、この決まりを破ったら冷害の義援金を交付しないと言う決議を行った。 これは、同様に例外に苦しんでいた県内でも珍しいことであった。 … 続きを読む