備考※1 11月 30日 1974 【参考】オイルショック 昭和49年11月30日の中日ニュースより。 オイルショックはもちろん岩手県内にも影響を及ぼした。 https://www.youtube.com/watch?v=ZEiW3BHxTmY … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 16日 1973 オイルショックと岩手(昭和48年11月16日) 昭和48年10月6日、第4次中東戦争が勃発。 イスラエルとアラブ諸国はまた喧嘩を始めた。 イスラエルはアメリカなど西側諸国の後ろ盾がある。 だからあんな小さい国がアラブの大きい国に囲まれていても何十年と国を維持していられる。 日本はそのアメリカの同盟国だ。 アラブから見て、そんな日本など西側諸国をど… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 24日 1967 東北電力釜石営業所「祝!電気記念日」(昭和42年3月24日) 昭和42年3月24日の岩手東海新聞より。 翌3月25日は電気記念日ということで、それに先立ち電気記念日を祝う広告を出していた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3月 1日 1967 東北電力釜石営業所の作業停電案内(昭和42年3月1日) 昭和42年3月1日の岩手東海新聞より。 東北電力釜石営業所の電柱建て替えによる作業停電案内は以下の通りであった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 10月 8日 1966 日本初の商用地熱発電所・松川地熱発電所が運転開始(昭和41年10月8日) IBC「いわてアーカイブの旅」第223回より。 松川地熱発電所は日本で初めての商用ベースの地熱発電所。 現在は東北電力系列の「東北自然エネルギー」が運営している。 地熱発電は原子力発電と違ってクリーンなエネルギーで、発電量もそれなりに大きいのであるが、「国立公園を開発できない」「温泉旅館経営者の反対… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7月 1日 1965 9大電機メーカーが釜石で説明会!(昭和40年7月1日) 昭和40年7月1日の岩手東海新聞より。 9大電機メーカーが釜石で説明会を行うという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 11月 26日 1964 東北電力岩手支店の造形美は「直線と曲線の融合」(昭和39年11月26日) 昭和39年11月26日の岩手日報より。 中津川べりに建つ東北電力岩手支店の建物は昭和37年に建ったものであるというが、スパンドレルと呼ばれるアルミニューム合金で、記事の表現をそのまま借りれば「キリのマサ目を思わせるやわらかい線ときっちり並んだ窓ワクがいかにもすがすがしい感じを与える」と表現されている… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 1日 1964 釜石ガス「ガス炊飯器なら美味しく炊き上がりますよ!」(昭和39年9月1日) 昭和39年9月1日の岩手東海新聞より。 釜石ガスではガス炊飯器の広告をしている。 個人的には、このタイプの炊飯器はうっすら記憶にある。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 18日 1963 江刺と住田の境界の姥石峠に電気が通る(昭和38年11月18日) 昭和38年11月18日の岩手民声新聞より。 江刺市と気仙郡住田町にまたがる種山高原の姥石峠には、この時点では電気が通っていなかった。 この時点では電気が通っていなかった。 戦前は、陸軍の軍馬補充部の放牧場として栄えた時期もあった。 戦後は、権限牧場として牛馬が放牧され、観光地としても宣伝されていた。… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 5日 1963 東北電力釜石営業所で家電製品の無料修理(昭和38年11月5日) 昭和38年11月6日の岩手東海新聞より。 東北電力釜石営業所では「サービス高揚月間」と位置づけ、各地で家電製品の無料修理を行っていた。 この日は釜石市大只越地区。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 4日 1963 遠野・琴畑分校に電気が灯る(S38.11.4岩手東海新聞) 遠野の土淵の方で最も僻地であった琴畑地区に、電気が灯ることになった。 それで、土淵第二小学校琴畑分校でも大喜び。 ちなみに、この琴畑分校は昭和48年に閉校している。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 11月 2日 1963 釜石ガス「ガスは正しく使いましょう」(昭和38年11月2日) 昭和38年11月2日の岩手東海新聞より。 釜石ガスではガス安全週間に基づきガス器具の使用方法を図示している。 釜石ガスのカロリーは4200カロリーですのでそれに合った器具を使いましょう、と。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 10月 3日 1962 ハリキリさん「マッチ探してきて」(昭和37年10月3日) 昭和37年10月3日の岩手東海新聞より。 当時連載されていた「ハリキリさん」ではマッチがテーマになっている。 この家ではすでに都市ガスが引かれていたようで、ガス器具があるのだが、マッチがない。 そこで、子供にマッチを探すよう言い付ける。 果たして、子供がマッチを見つけたところはお父さんの洋服の中。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12月 1日 1961 久慈市の角柄開拓地に電気がやってきた(昭和36年12月1日) 昭和36年12月4日のデーリー東北より。 久慈市で最後の電気が通っていない地区であった侍浜町角柄開拓地に、12月1日に電気が導入された。 それで、侍浜小学校角柄分校の校庭で、落成式が行われた。 ここは、昭和21年に入植されてから、15年目で電気が実現したと言うことになる。 これは、久慈市の未点灯部落… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 25日 1961 岩手放送テレビで座談会「都市ガスと文化生活」(提供:水沢ガス)(昭和36年11月25日) 昭和36年11月25日の胆江日日新聞より。 この月、11月15日には水沢ガスがガスの提供を開始している。 これを記念して、11月24日には水沢小学校でガス器具の展示販売を行うこととなった。 また、翌11月25日13:00にはIBC(岩手放送)テレビで座談会「都市ガスと文化生活」を放映するという。 &… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 24日 1961 水沢で1961年型ナショナル電気暖房器大売り出し!(昭和36年11月24日) 昭和36年11月24日の胆江日日新聞より。 水沢市内の電気店が最新型の電気機器の広告を出している。 当時はこれが最新であった模様。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 15日 1961 水沢に都市ガス供給開始(昭和36年11月15日) 昭和36年11月16日の胆江日日新聞より。 水沢市民が待ち望んだ水沢ガスの供給が11月15日に開始した。 最初は500戸の家庭に供給されたが、主婦は「今日から炊事が楽になります」と喜んでいた。 年末までは700戸にも供給されるという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 9月 6日 1960 東北電力釜石営業所の休電日(昭和35年9月9日) 昭和35年9月6日の岩手東海新聞より。 東北電力釜石営業所によれば、9月の休電日は以下の通り。 9月9日 9時〜16時:五ノ橋以西、中妻、小川、小佐野、嬉石、松原、平田、唐丹 また、9月23日の定期休電日は取りやめの予定であると言う。 そして、この時に限り街方(釜石市中心部)の休電日はないと言う。… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 18日 1958 水ききんで電力危機(S33.7.18岩手報知) 昭和33年の夏は日照り続きで、各河川も水不足となり、水力発電に頼っていた東北電力も電力不足の危機となっていた。 この当時は、そのような時に中部電力から電気を融通してもらうようになっていたようだ。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 14日 1957 安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日) 昭和32年10月14日のデーリー東北より。 10月になると冬の支度が盛んになる。 木材や製炭材が安くならず、高い木炭を使うよりは薪ストーブを利用しようと言う例が多くなっていると言う。 相場としては、ナラ材で久慈市内では4000円前後、山形村でも3200円前後、雑木でも2700円と言う強気だったと言う… 続きを読む
l全県 3月 2日 1957 東北電力「渇水が改善したので電力使用制限を緩和します!」(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 この当時、電力はすべて水力発電に頼っていた。 だから渇水となれば、その電力は使用を制限しざるを得ないわけである。 しかし、それが緩和されてきたようであった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 9日 1956 水沢ではこの冬最低の零下15.6度! 前沢の生母小学校母体分校で寒さに震える児童の半数が風邪をひいたという記事の隣にあったニュース。 昭和31年2月9日の朝、県内各地では猛烈な寒気に見舞われた。 盛岡では-12.2℃でで例年より5.6℃も低い。 水道が凍って水が出ないという主婦からの助けを求める電話が100件以上あったという。 盛岡測候… 続きを読む
c久慈・九戸郡 6月 3日 1955 山形村の霜畑・小国にも電気を!(昭和30年6月3日) 昭和30年6月3日のデーリー東北より。 九戸郡山形村では、前走に先駆けて東北電力の電気導入に成功した荷軽部部落に刺激されて、関・霜畑・小国部落の372戸では、電気導入の気運が高まった。 この時点で、東北電力の電線は、久慈市山根町木売内まで達していた。 これに1線加えればこの地域まで達するので、拡張は… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 11月 20日 1953 胆沢川発電所がいよいよ貯水(S28.11.20胆江日日新聞) 水沢では、待望の胆沢川発電所がいよいよ完成し、従来の8倍の発電能力を持つ発電所が稼働を開始しようとしていた。 この時期の胆江日日新聞には非常に珍しい写真入り記事。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 10月 2日 1953 胆沢川発電所で電力に余裕ができました!各家庭でも電灯をつけましょう!(昭和28年10月2日) 昭和28年10月2日の胆江日日新聞より。 それまでは「停電」「節電」は日常のことだった。 発電所や変電所の容量が少なかったからだ。 しかし、このほど胆沢川水力発電所が完成したことにより、電力会社(記事には「東北電力」とは書いていない)では8月~9月の間、胆沢郡・江刺郡・和賀郡で4万戸訪問し、電気を増… 続きを読む
l全県 10月 8日 1952 渇水でもないのにまた停電(昭和27年10月8日) 昭和27年10月8日の岩手日報より。 「盛岡市内にて」ということであるが、これは本屋? 10月7日の夕方からまた輪番停電が始まった。 盛岡市内では10月7日17時~19時の間に輪番で10分間ずつ、郡部では15分ずつ消された。 8日に入り、0時~6時の間に1時間ずつ2回の停電が行われた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 31日 1951 都市は電気設備から街の美化!(S26.7.31夕刊いわて) 広告欄より。 盛岡市内の電気工事業者の広告が掲載されているが、あの岩舘電気もある。 当時から肴町にあったようだ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 17日 1951 盛岡で電気料金値上げ反対署名運動(昭和26年6月17日) 昭和26年6月17日の「夕刊いわて」より。 電気料金値上げ反対の署名が盛岡市内の目抜き通りで行われた。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2月 4日 1950 山のボンペイ街のチャコ「色々なランプ」(昭和25年2月4日) 昭和25年2月4日の新岩手日報より。 この当時連載されていた「山のボンぺイ街のチャコ」では、ランプが話題になっている。 昭和20年代であれば、山奥の集落に電気が通っていたということ自体がまれで、ランプに頼る生活をしていた。 しかし、盛岡視点のチャコにしてみればやはりそれは珍しいものであ… 続きを読む