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岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日)

昭和32年1月3日の河北新報より。 県内各地では初売りとなった。 【盛岡】暖かい天気に恵まれ、人出が増えた。盛岡駅では乗降客が平日の二倍半という盛況。初荷は風船や小旗で飾り付けたトラックやオート三輪が市内を走り回っていた。圧巻は日通盛岡支店で、10時からボデーを飾りまくったトラックやオート三輪20台…
海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」 d宮古・下閉伊郡

海というものを初めて見た山の分校の子供「なんて広かんべぇ!」

昭和31年7月11日読売新聞夕刊より。 下閉伊郡安家村の安家小学校坂本分校では7月2日に、宮古の浄土ヶ浜への修学旅行が行われた。 そもそも、安家村の坂本地区とはどのような場所であるか。 木炭や林業の村であったが、現金収入が非常に少ない部落であった。 「日本のチベット」と呼ばれる地域である。 最近、文…
酔っ払いの弁護士(69歳)が街頭募金の少女に殴りかかる(昭和31年5月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

酔っ払いの弁護士(69歳)が街頭募金の少女に殴りかかる(昭和31年5月8日)

昭和31年5月9日の岩手日報より。 5月8日の昼下がり、盛岡の中心街・大通3丁目で仙北中学校の女生徒が「白い羽根」の赤十字募金を募っている。 そうすると、酔っ払った老人が「子供たちに募金させてるのは誰だ!」と、その女生徒に殴りかかったのだ。 それを見た通行人が慌てて引き離したが、興奮した老人は女生徒…
盛岡・大沢川原の善隣館に肢体不自由児の保育所(昭和31年5月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・大沢川原の善隣館に肢体不自由児の保育所(昭和31年5月1日)

昭和31年5月1日の岩手日報より。 岩手県身体不自由児教誨は、国際キリスト教奉仕団の好意で、盛岡市大沢川原にある善隣館の一部を借り受け、肢体不自由児のための保育所を開設するという。 期間は施設の関係で翌年3月までであるという。 岩手県内には5~6000名、盛岡市内には150名の身体障害児がいたのだと…
各地で初午行事(昭和31年3月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

各地で初午行事(昭和31年3月16日)

昭和31年3月17日河北新報岩手版より。 3月16日は、旧暦で初午にあたり、各地では火防祭などが行われた。 「初午」と言うのは、稲荷信仰に基づくものと言われ、豊作祈願をすることが多いと言う。 また、「初午が早い年は火事が多い」と言う俗信があるようで、消防団の出初め式や、火防祭を行うところもあると言う…
水沢ではこの冬最低の零下15.6度! a盛岡・岩手郡・紫波郡

水沢ではこの冬最低の零下15.6度!

前沢の生母小学校母体分校で寒さに震える児童の半数が風邪をひいたという記事の隣にあったニュース。 昭和31年2月9日の朝、県内各地では猛烈な寒気に見舞われた。 盛岡では-12.2℃でで例年より5.6℃も低い。 水道が凍って水が出ないという主婦からの助けを求める電話が100件以上あったという。 盛岡測候…
盛岡文化服装学園と久保学園高校が合同で針供養(昭和31年2月8日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡文化服装学園と久保学園高校が合同で針供養(昭和31年2月8日)

昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 盛岡文化服装学院と久保学園高校は合同で「針供養」を行った。 会場となった盛岡文化服装学園の講堂では、祭壇が設けられ、和尚さんの読経で供養の儀式が行われた。 これが終わってから、音楽会を開催し楽しい1日を過ごしたと言う。 文化服装学園か久保高かわからないが、生…
釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日) e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日)

釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。 当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。 これが、この年以降…
水沢で雪の芸術祭(昭和31年2月5日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢で雪の芸術祭(昭和31年2月5日)

昭和31年2月7日の河北新報岩手版より。 水沢で恒例の雪の芸術祭は、荒天のために延期になっていたが、2月5日に開催されたという。 雪像のコンクールだったようで、この年1位になったのは南町子供会の「千秋楽」であったという。 2位は不断町の「機関車」、3位は大畑小路の「後藤寿庵像」、新小路の「金太郎のす…
久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日) c久慈・九戸郡

久慈では北海道への農業出稼ぎに人気が集まり女中さん不足(昭和31年1月24日)

昭和31年1月24日のデーリー東北より。 久慈地方では、一般家庭や飲食店、旅館の女中難が深刻化していた。 それは、昭和30年から始まった北海道地方での農業労働者の大量求人が予想外に好評で、契約期間終わって帰ってきた人々が新しい農業方法を覚えたり、家族同様に扱ってもらえたと言うのでそちらに人気が集まっ…