a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1938 銃後の盛岡市民もお花見(S13.4.22岩手日報) 盛岡もお花見のシーズンになっていたが「銃後」などという言葉が付いている。 日中戦争が始まった時期だった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1938 厚生省「戦時でもあるし性病予防対策に診療所を!」→盛岡市では…(昭和13年4月20日) 昭和13年4月20日の岩手日報より。 厚生省は、岩手県を通じて「戦時疾病に備え花柳病予防の診療所を設置するように」と、盛岡市に要請してきたのだという。 これに対し、盛岡市では内丸の診療所を拡張設備することで対応することにしたようである。 そこで、診療所の裏手の県経済部長官舎を明け渡してほしいと県に交… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 4月 1938 自治制発布50年記念式典で全国の町村長の総代として上閉伊郡金沢村長が挨拶 昭和13年4月18日の読売新聞より。 明治21年(1888年)に町村制が発布され、昭和13年で50周年を迎えることとなった。 そこで、内務大臣の招待を受けた69町村、個人352名の総代として、明治25年から46年の長きにわたって村長の座にあった、岩手県上閉伊郡金沢村の兼沢福次郎村長(77歳)が挨拶を… 続きを読む
b二戸・二戸郡 13 12月 1937 ズーズー弁の軍事電報「メイヨノセンシヨウシ」 昭和12年12月13日の東京朝日新聞より。 支那事変で日本軍が南京などで戦闘していた頃のこと。 二戸郡浄法寺村から出征したある一等兵の留守宅に電報が来た。 「メイヨノセンシヨウシ」 つまりこれは「名誉の戦傷死」ということだ。 家族は写真を仏壇に飾って拝んだ。 ところがそれは「名誉の戦傷す」だったのだ… 続きを読む
g北上・和賀郡 15 6月 1937 湯田村の放火殺人事件(S12.6.15) 昭和9年10月10日午後10時30分ごろ、和賀郡湯田村大荒沢で最初の火災が発生した。この火災は便所から出火し、家が全焼した。原因は高齢の養母が灰の処理を怠ったことによる失火とされ、起訴猶予となった。 同年12月2日午後10時30分ごろ、同じ部落内で再び火災が発生した。今回は物置小屋が火元となり、家屋… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9 6月 1937 貧しい傷痍軍人に対し授産の養鶏講習 昭和12年6月9日の岩手日報より。 支那事変で戦争が発生すれば傷痍軍人が発生する。 傷痍軍人を一生職もなく遊ばせておくほどの国力は日本にはなかった。 だから何かをして働いてもらわないといけない。 それで、盛岡連隊区司令部職業補導部では、名誉の戦傷を受け貧困に陥っている家庭の為に、6月15日~21日に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 6月 1937 「雫石アネコ」の田植えを見物に行こう 昭和12年6月10日の岩手日報より。 見出しは「色とりどり雫石名物 美しの早乙女が泥田に描く詩情」。 令和になった今でも道の駅の名前になっているなど、雫石町の観光資源となっている「雫石あねっこ」であるが、それは戦前からだったようである。 岩手日報社により、雫石アネコの見物団が組織され、川口村長、盛岡… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 6月 1937 市制間もない釜石市に散水車お目見え 5月5日に盛岡市に次いで2番目に市制したばかりの釜石市で、6月1日に市章入りの散水車がお目見え。 未舗装の道路が多かった時代、砂塵止めのために散水車が必要であった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 5月 1937 第32回目の海軍記念日 岩手では(昭和12年5月27日) 5月27日の海軍記念日は、日露の戦役で日本海海戦に勝利したことを記念して制定された。 第32回の記念日となる昭和12年のこの日は、岩手県内で以下のことが行われた。 盛岡市内各小学校でZ旗の掲揚。 Z旗は前日に盛岡海軍部・岩手艦橋会から寄贈されたもの。 岩手県公会堂では講演会と映画会。 講演講師は盛岡… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 27 5月 1937 松尾鉱山の文盲鉱夫と盛岡の悪い女 盛岡区裁判所で行われた裁判より。 山形県の山中で生まれ、あまりに僻地であることから3か月しか学校へ行かずに字が読めず、九州の炭鉱などで鉱夫として働いていた。 生母と生き別れになっていたが、その生母が盛岡にいることが分かり盛岡へ行き、松尾鉱山で働くようになった。 ところが鉱夫仲間の時計を盗んで盛岡市内… 続きを読む
m県外・参考 18 5月 1937 昭和12年の怪しい情報商材広告 昭和12年5月18日の岩手日報の広告欄より。 「これだ!金儲の早道」などと書いてるので、現在のyoutubeの早口広告のような怪しい情報商材広告かと思ったら「世界最大・銀狐兎の飼育」という。 業者は岩手県内ではなくはるか大阪は布施市(現:東大阪市)からで、全国の地方紙に同様の広告を出していたのだろう… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 16 5月 1937 明治神宮で賽銭泥という不敬を働いた男の親は・・・ 明治神宮は明治天皇を祭る畏き神域。 その明治神宮で賽銭泥棒という大それた不敬をしでかした30歳の男は、岩手県のどこだかの街の出身だった。 郷里に住むその男の父親だけでなく、その町の町長までが東京に出て明治神宮でお詫び行脚である。 明治神宮の神域で不敬を働くということは、それほどの大それたことであった… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 15 5月 1937 岩谷堂で人気の狂人「八つぁん」死す 江刺郡岩谷堂町(現:奥州市江刺区岩谷堂)で「八つぁん」と呼ばれ親しまれていた47歳の男は、3~4日前から行方が分からなかったが、15日になって町内の馬蹄工場跡で心臓マヒを起こして死んでいるのが発見された。 八つぁんは、若いころは腕利きの左官であったというが、20代半ばで発狂し、腹が減ればどこからでも… 続きを読む
m県外・参考 8 11月 1936 飲酒運転に罪悪感ゼロの4コマ漫画 昭和11年11月8日の読売新聞の広告欄より。 岩手とは関係のない話題ではあるが、「これは?」と思ったのであえて掲載することに。 全国版に京都の蔵元「キンシ正宗」が広告に出している4コマ漫画。 キンシ正宗を持った紳士がタクシーを呼ぶ。 「僕の家まで50銭で行かんか」「だめです」 「キンシ正宗を飲んでか… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 11月 1936 川徳でトンビやマントなど防寒用具大売出し!(昭和11年11月1日) 昭和11年11月1日の岩手日報より。 川徳では防寒用具の大売出しを行うという、 トンビやマントなどというのが時代である。 … 続きを読む
g北上・和賀郡 21 8月 1936 黒沢尻病院で優等生の少女が発狂(S11.8.21岩手日報) 和賀郡横川目村の小学校高等科2年の優等生の少女が頭痛で黒沢尻の病院に行ったら大声をあげて発狂したと。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 8月 1936 警察練習所のお台所拝見(昭和11年8月1日) 昭和11年8月1日の岩手日報より。 盛岡警察署の西隣にあったという警察練習所の食事風景であるという。 盛岡警察署の西隣というと、現在の岩手県警察本部のあるあたりだろうか。 現在、岩手県警察学校は青山にある。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4 5月 1936 岩手公園や高松の池は行楽日和(S11.5.4岩手日報) この当時は「ゴールデンウィーク」など無かっただろうし何より憲法記念日などというものも無かったはずで、それでも行楽日和だったようだ。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 1 5月 1936 田山セツルメント生活日誌(S11.5.1岩手日報) 盛岡友の会による田山セツルメントの生活日誌であるという。 「盛岡友の会」は確か現在の盛岡スコーレ高校を経営している向中野学園と何か関係があったような・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 5月 1936 盛岡観光祭1日目の様子(昭和11年5月1日) 昭和11年5月2日の岩手日報より。 当時は、桜の季節に「 盛岡観光祭」が行われていたようで、その時の様子が写真記事となっている。 ちなみに、気象庁のホームページ気象庁のホームページによれば、桜の開花の観測は昭和28年から開始されているようであるが、昭和20年代だと開花は4月の下旬ごろだ… 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 29 4月 1936 大船渡に大きな船が渡ってきた(昭和11年4月29日) 昭和11年5月1日の岩手日報より。 大船渡の港に、世界的に有数のタンカーであるノールウェイドラフン号が着岸した。 このドラフン号は、12,000トンであると言う。 そして、4500トンの重油を日石タンクにあげた。 この巨大の船の入稿に、気仙郡の郡民の見物客は500人から600人に及んだと言う。 子供… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 4月 1935 凶作に恵まれて?女の失対事業花盛り(S10.4.13岩手日報) 昭和9年は史上稀見る凶作の年だった。 そのせいでか、県内に84ヶ所の農村主婦向けの授産場ができたという。 盛岡市内の浄土宗の寺に設けられた軍服の修繕工場もその1つ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 4月 1935 厨川小学校でひな祭り(昭和10年4月6日) 昭和10年4月6日の岩手日報より。 厨川小学校でひな祭りをやったというが、4月!? 岩手では旧暦でやっていたのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 3月 1935 釜石町に大火が発生し22戸が全焼(昭和10年3月7日) 昭和10年3月8日の岩手日報より。 3月7日の午前1時過ぎ、釜石町大渡3丁目から発火、22戸全焼したと言う火災が発生した。 出火と同時に、町役場では吏員が非常召集し救護に出動した。 そして、焼け出された避難民に炊き出しを行い、20日分の食料と、罹災資金20円、被覆は1人につき5円、学用品は3円を配給… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3 3月 1935 盛岡・松屋デパートが少年店員募集(S10.3.3岩手日報) 盛岡の松屋デパートでは少年店員を募集していた。 15歳以上ということであったが、松屋デパートが閉店した昭和40年代には40代。 その閉店を見届けたこの時の少年店員もいたのだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 3 3月 1935 上閉伊郡金沢村では「村民絶対禁酒」(昭和10年3月3日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 上閉伊郡金沢村では、更生村民大会において、村民は絶対禁酒で、この決まりを破ったら冷害の義援金を交付しないと言う決議を行った。 これは、同様に例外に苦しんでいた県内でも珍しいことであった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1 3月 1935 炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。 曰く「私をどこかに世話してください」と。 この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。 しかし、昭… 続きを読む