g北上・和賀郡 9月 9日 1931 黒沢尻(北上)の諏訪神社で祭典 昭和6年9月9日の岩手日報より。 黒沢尻町の郷社である諏訪神社では9月7~9日の間、祭典が行われた。 黒沢尻の全町では紅白の幔幕を張ってお祝い気分である。 諏訪神社の境内に小屋掛けした見世物も盛況を博していたという。 … 続きを読む
hスポーツ 9月 3日 1931 人見絹枝嬢の死因は過労と!運動の季節に注意!(S6.9.3岩手日報) 女子陸上選手のさきがけ、人見絹枝はこの1ヶ月前に死去し、話題となっていた。 その原因は過労によるものであるから、薬を飲んで体力をつけましょうという広告。 イラストの野球帽に「M」とあるが、東京の薬屋なので別に盛岡中学(現:盛岡一高)のことではないだろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 2日 1931 盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報) 盛岡市では水道を設置する計画を進めており、米内川にその水源地を求めていた。 盛岡市議会一行が上米内駅で降りて、米内川沿いに歩いてその調査を行なっていた。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 1日 1931 花巻町の84歳「長寿の秘訣は無理をせぬこと」(昭和6年1月1日) 昭和6年1月1日の岩手日報より。 この当時の平均寿命はなんと40代前半だった。(厚生省資料より) だから、84歳まで生きたとあっては非常な長寿命だったのである。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 1日 1931 軍隊でも正月は朝風呂で楽しむ(昭和6年1月1日) 昭和6年1月1日の岩手日報より。 流石の軍隊でも正月だけは楽しかったようで「除隊に次ぐ楽しみ」とある。 戦時中なら「祝出征」で、除隊が楽しみだなんて表立っては言えなかったのではないだろうか。 まだ何も起こっていなかった頃のこと。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 5日 1930 星チェーンストア岩手・青森県連合大会を開催します(昭和5年3月5日) 昭和5年3月1日の岩手日報の広告欄より。 来る3月5日に、岩手県公会堂で岩手・青森県連合星チェーンストア大会を開催するという。 この「星チェーンストア」こそは星製薬による日本で初めてのチェーンストアであり、その創業者星一は、SF作家星新一の父親でもある。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1930 トラホームは「虎眼」?(昭和5年3月4日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 水沢町では3月4日に壮丁者(徴兵年齢に達した者)にトラホームの検診を行うという。 ところで見出しには「虎眼」。 Googleで検索する限りでは、トラホームを「虎眼」とするのは一般的ではないようだ。 そして昭和5年は午年であったようだ。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 2日 1930 商品陳列所に雛人形(S5.3.2岩手日報) 現在のもりおか歴史文化館のあたりには、かつて「商品陳列所」があった。 現在の岩手県工業技術センターとなる。 ここに雛祭りの雛人形が展示されたというニュース。 … 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 岩手県の新生児死亡率の高さは昭和初期からの悩みだった(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 記事の見出しには「産婆を置いて嬰児の死を防ぐ 本県の死亡ベラボーに高率なので 社会課の対応策成る」とある。 具体的な数字は書いていないが、とにかく他府県に比べ「ベラボーに高率」だったらしい。 これに対し、岩手県社会課は以下のような対策を考えた。 産婆設置の普及。特に… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 選挙違反の捜査は医師やレントゲン写真まで(S5.3.1岩手日報) 岩手県会議員選挙に盛岡地方裁判所検事局は峻烈な取り調べをしていた。 果ては入院していたという医師やレントゲン写真まで調べ、それを報じたという医療情報のプライバシーなど影も形もなかった時代。 … 続きを読む
m県外・参考 3月 1日 1930 原敬を暗殺した大塚駅転轍手の家族のその後(昭和5年3月1日) 大正10年11月4日、時の総理大臣であった盛岡出身の原敬は、大塚駅転轍手の中岡艮一の凶刃により暗殺された。 そして中岡には無期懲役の判決が下された。 それから9年。 昭和5年3月1日の岩手日報には、その中岡艮一の家族のその後が掲載されている。 「無期懲役」と言いながら、出所が近いというのだ。 51歳… 続きを読む
l全県 3月 1日 1930 少年航空兵に県内でも相応な数が応募(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 この年から、海軍では少年航空兵を募集することになった。 横須賀鎮守府管内では40名の枠であったが、岩手県内だけでも相当の数の志願者があることを報じている。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 3月 1日 1930 盛岡に「航空少年団」(昭和5年3月1日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 昭和初期、盛岡には伊東左内という飛行家がおり、当時の陸軍の根拠地である観武ヶ原(現在の盛岡市みたけ一帯)に「伊東飛行場」という飛行場を個人で持っていたという。 (詳細は以下のブログにも詳しい) この伊東氏が、市内中心部の仁王・内丸・日影門・本町の10~18歳の少年1… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 2月 28日 1930 水沢区裁判所で猫を失火罪で訴える珍無類な裁判(昭和5年2月28日) 昭和5年3月1日の岩手日報より。 失火罪で水沢区検事局から20円の罰金の略式命令を受けた33歳の女がいた。 しかし、その女は「責任は猫にあるんです」と猫を訴えることにした。 この裁判が2月28日に行われ、「猫が失火をなしたとの理由は認められない」と、結局罰金20円を言い渡されスゴスゴ退廷したという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 6日 1929 盛岡には失業者が300人以上(昭和4年9月6日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 盛岡市職業紹介所における、8月中の求職状況は、男68名、女17名の85名の求職に対し、就職したのは男30名、女11名の41名に過ぎなかったと言う。 男は珍しく店員や行員の就職が多く、女は大抵が女中であった。 これでも、1月から求職をしていながら、いまだに職業がないも… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 5日 1929 「必然的に滅亡する悲惨な山村」とまで酷評された村(昭和4年9月5日) 昭和4年9月6日の岩手日報より。 東京帝国大学の渡辺助教授は、農村調査のため下閉伊郡小国村に出張中であった。 そして9月5日に盛岡に至り、午後21時28分の列車で青森に向かったが、その調査の結果はかなり辛辣であった。 原始共産主義的な形態の村。 「隠し念仏」と言われる浄土真宗の一派の中心者が部落を支… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 9月 3日 1929 川井村でトラックから酔っ払いが飛び降りて圧死(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 9月3日のこと。小国村の早池峰神社の祭典の参詣者を満載したトラックが、江繋村との村境付近で、乗っていた34歳の酔っ払いが飛び降りた。 そうしたところ、次の車に滑り込む形になってしまい、ついには死亡してしまった。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 3日 1929 仙北町裏田んぼでイナゴ取り(昭和4年9月3日) 昭和4年9月3日の岩手日報より。 1枚切りの写真記事ではあるのだが、盛岡市仙北町うらの田んぼで稲をとっている風景である。 「仙北町裏田圃」とはどのあたりになるだろうか。 現在国道4号線が走っている東仙北あたりになるのか、はたまた線路沿いあるいは線路から西の西仙北になるかだろうか。 &n… 続きを読む
m県外・参考 9月 3日 1929 「一寸法師歌劇団」が来朝(昭和4年9月3日) 昭和4年9月5日の岩手日報より。 身長わずか2尺3寸(約70cm)〜2尺9寸(約100cm)と言うモダーンな歌劇団の男女一行が9月3日に来朝したと言う。 この時代らしく「モボ」「モガ」揃いだと記事には書いてある。 団長は55歳で、その他は20代であったと言う。 どこの国から来たと言う事は書いていない… 続きを読む
m県外・参考 9月 2日 1929 岩手出身の美術教師が帝展で入選(S4.9.2岩手日報) 岩手県出身で、この当時府立第一高等女学校(現:都立白鴎高校)の美術教師であった女性が帝展で新入選したというニュース。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 9月 2日 1929 渇水に悩む県南の電力事業者は火力発電所設置計画(S4.9.2岩手日報) 当時の電力は水力発電所が主だったが、水がなければどうにもならない。 それで、当時の胆江・一関町営・気仙の各電力会社は、火力発電所を設置する計画をしていた。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 4日 1928 盛岡市呉服町の洋服店「秋冬洋服均一注文!」(昭和3年9月4日) 昭和3年9月4日の岩手日報より。 盛岡市呉服町の洋品店が広告を出している。 燕尾服やフロックコートなど、かなりかしこまった洋装である。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1月 13日 1927 盛岡で流行性感冒が大はやり(S2.1.13岩手日報) 岩手銀行中ノ橋支店を設計した辰野金吾の死因にもなったあの「スペイン風邪」から8年、盛岡で流行性感冒が流行した。… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 1月 8日 1927 スキー場は「スロープ」という呼び方が一般的だったのだろうか(昭和2年1月8日) 昭和2年1月8日の岩手日報の広告欄より。 花巻温泉のスキー場の広告。 この当時は「スロープ」という言い方が一般的だったのだろうか。 … 続きを読む