e釜石・遠野・上閉伊郡 1 4月 1959 大槌町須賀海岸は潮干狩りのシーズン(昭和34年4月1日) 昭和34年4月1日の読売新聞岩手版より。 大槌町の須賀海岸では潮干狩りのシーズンになっていた。 それで潮干狩り列車やバスの増発するほどであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 3月 1959 山田線のディーゼルカーは秋から運転予定(昭和34年3月25日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 宮古から盛岡に出る山田線をSLが牽引する「カラス列車」からディーゼルカーに切りかえてくれと、宮古市長などは国鉄東北支社長に陳情に行っていた。 そして3月25日、昭和28年~昭和33年の間衆議院議員を務めた地元選出の中井英太郎氏(右社)が語る所では、 「ディ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 24 3月 1959 釜石で尺貫法の廃止で要らなくなったマスやハカリの葬式(昭和34年3月24日) 昭和34年3月26日の読売新聞岩手版より。 前年の昭和33年12月31日をもって、尺貫法が廃止されメートル法が用いられるようになった。 そこで、それまでの尺貫法の枡や秤は要らなくなったので、送り彼岸である3月24日、釜石市内の石応寺でそれら枡や秤の葬式が行われ、これをメートル法のPRの機会と釜石市の… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 14 1月 1959 釜石・及新デパート「アーチイストを迎えてホリウッドスターのメイクを!」(昭和36年1月14日) 昭和36年1月14日の岩手東海新聞より。 釜石の及新デパートでは、「アーチイストを迎えてホリウッドスターのメイク」をしてくれるのだという。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 28 9月 1958 釜石市内の事務用品店「東芝レジスター合計加算器付き25万円!」(昭和34年9月28日) 昭和34年9月28日の岩手東海新聞より。 広告欄には、釜石市内のジム用品店が東芝レジスタの広告を打っている。 合計加算機付きで250,000円だと言うことで、令和の現在で言うパソコン以上のお値打ち感である。 それでも、製鉄所のお膝元の釜石と言うことで、そのために事業所があって売れはしたのだろう。 &… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 4月 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 5月 1957 釜石で高品位ウラン鉱?(昭和32年5月26日) 昭和32年5月26日の岩手日報より。 釜石に、高品位なウラン鉱脈があるのではないかと言う専門家の見立て。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 26 5月 1957 釜石・和山牧場で闘牛大会(昭和32年5月26日) 昭和32年5月27日の岩手日報より。 釜石市の山奥にある和山牧場では、100年以上の歴史を持つ闘牛が名物であったという。 これを見るために、釜石市内外からバスやジープやトラックで2,000人以上の観客が詰めかけたという。 この時期最強だったのは、この和山牧場組合が所有する9歳の「大宮号」であったとい… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 4月 1957 釜石では北洋サケマス独航船が出港したり製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人殺したり(S32.4.22岩手日報) 釜石港では北洋サケマス独航船が盛大な見送りと共に出港した。 そうかと思えば釜石製鉄所の朝鮮人が喧嘩で人を死なせるなど。 釜石とはそんな場所だった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 22 4月 1957 釜石市営ビルの煙草屋さんのジュウシマツ(昭和32年4月22日) 昭和32年4月22日の岩手日報より。 釜石市営ビルで煙草や鉄瓶などの土産物を売っている57歳の男性は、ジュウシマツを完全に飼いならしている。 「飛びなさい」と言えば飛ぶ、「おいで」と言えば来る。 本人によれば「ジュウシマツは飼ってるのではなく、一緒に生活しているのです。それで愛情で慣らすのです」と楽… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 18 4月 1957 遠野署が釜石線の列車でヤミ米46俵押収(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 遠野警察署は3年ぶりに釜石線でのヤミ米の取り締まりに乗り出したという。 遠野駅を14:08に発車する釜石行きの415列車を急襲、釜石へ運ぼうとしていたヤミ米134包、2760kgを押収し、釜石市内の男1名、女4名を食糧管理法違反で逮捕した。 列車の網棚や椅子の下… 続きを読む
c久慈・九戸郡 2 4月 1957 三陸沿岸は絶好の潮干狩り日和(昭和32年4月2日) 昭和32年4月3日の岩手日報より。 4月2日は旧暦3月3日で桃の節句。 三陸沿岸は好天に恵まれ潮干狩り日和となり、盛鉄局は山田線や八戸線に臨時列車を出して潮干狩り客をさばいたという。 写真は大槌町の洲崎海岸で、5,000人の人出でにぎわったという。 釜石市の鵜住居海岸でも3,000にんの人出でにぎわ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 17 2月 1957 大槌町の江岸寺の本堂がほぼ完成(昭和32年2月17日) 昭和32年2月17日の河北新報岩手版より。 上閉伊郡大槌町の曹洞宗江岸寺では、昭和31年秋以降、鉄筋コンクリートで本堂を建築していたが、順調に工事が進み、ほぼ完成した。 江岸寺は、徳川時代と明治34年に火災に遭っており、その後50数年間仮本堂となっていたのである。 本堂は98坪で、工費に8,50万円… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 30 1月 1957 釜石鉱山の不穏な新聞広告 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版では何やら不穏な広告が掲載されている。 釜石鉱業所の社員や関係者を自称して、鉱山の買収やら探鉱調査やらの話をしていた男がいたらしい。 それで、その実名を挙げて「ご注意ください」と広告を打っている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 1月 1957 釜石で人骨12体!?(昭和32年1月29日) 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月29日、釜石市平田で開田工事をしていると、地下2~3尺(60~90cm)の所から人骨が12体出てきたのだという。 おそらくは、昭和8年3月3日の三陸大津波の犠牲者ではないかと推定された。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 1月 1957 釜石の人が独特な漢字を考案(昭和32年1月5日) 昭和32年1月5日の河北新報より。 釜石の人が、独特な漢字を考案した。 しかし、例で見る限りではまるで地図記号だ。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 2 1月 1957 岩手県内各地で初荷(昭和32年1月2日) 昭和32年1月3日の河北新報より。 県内各地では初売りとなった。 【盛岡】暖かい天気に恵まれ、人出が増えた。盛岡駅では乗降客が平日の二倍半という盛況。初荷は風船や小旗で飾り付けたトラックやオート三輪が市内を走り回っていた。圧巻は日通盛岡支店で、10時からボデーを飾りまくったトラックやオート三輪20台… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 23 4月 1956 北洋サケ・マス独航船が釜石や宮古を出発(S31.4.23岩手日報) この時期、ソ連が北洋漁業に関して制限を設けるなど、北洋漁業は緊迫した情勢になっていた。 そのような中を、釜石港や宮古港からサケ・マスの独航船が次々と悲壮な覚悟で出発をしていった。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 21 4月 1956 県内の漁港からカムチャッカへの北洋独航船出発(S31.4.21岩手日報) 日ソ漁業交渉の方向性がわからない時期であったが、カムチャッカの沖合へ北洋独航船が県内の漁港からも出発。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 8 4月 1956 東大に何人入ったか 「週刊読売」昭和31年4月8日号によれば、岩手県内からの東大合格者は以下の通り。 盛岡一高 3名 一関一高 3名 花巻北高 2名 釜石高 1名 ちなみに全国でのランキングは以下の通り。 日比谷高 96名 小石川高 73名 西高 63名 戸山高 58名 両国高 54名 麻布高 44名 新宿高 42名 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 7 2月 1956 釜石線でヤミ米55俵を押収(昭和31年2月7日) 釜石警察署は、陸中大橋駅で7:10に到着した下り321列車と、9:05に到着した311列車を急襲し、うるち米2,960kg、もち米400kgの系55俵分を押収し、2名を検挙。 当時の食糧管理法では、戦後を引きずって米価はまだ国が統制している頃で、それ以外の流通は認められなかった。 これが、この年以降… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 2月 1956 釜石駅前に観光案内所が完成(昭和31年2月6日) 昭和31年2月9日の河北新報岩手版より。 釜石観光協会では、釜石駅前に観光案内所を公費20万円で建築し、6日から店開きした。 事務所は広さ3坪で、釜石市の名産品を陳列して販売したり、観光地や旅館や事業所等の案内のために、専任の案内ガールが2名常駐しているのだと言う。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石製鉄所の運動部がトレーニング開始(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報岩手版より。 岩手県の実業団スポーツの雄と言うと、なんといっても釜石製鉄所だった。 その釜石製鉄所の各運動部がトレーニングを開始することとなった。 水泳では、鈴子に温水プールがあった。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4 2月 1956 釜石市役所の立春(昭和31年2月4日) 昭和31年2月4日の河北新報より。 翌日に立春を控えた釜石市役所の表情。 昼休みに、職員たちがバレーボールに興じている。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 14 1月 1956 沿岸で珍しい大雪(昭和31年1月14日) 昭和31年1月14日の岩手日報より。 基本的に、岩手県の沿岸部の太平洋岸にはそれほど雪は降らないものである。 それは、普段雪を降らせている原因は「冬型の気圧配置」によりシベリアからの寒気が日本海の水蒸気を日本海側に運び、日本海側で大雪を降らせることはあっても、その水蒸気が奥羽山地や北上山地まで越える… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 8 1月 1956 遠野に平和大観音が建立(昭和31年1月8日) 昭和30年12月27日の岩手日報より。 後年、あんべ光俊の「遠野物語」で〽月夜の晩の福泉寺~と歌われた遠野市の福泉寺では、戦没者供養と戦災復興を祈願して、信者3000人の手により平和大観音像が慈眼寺の山頂に建立されることとなった。 高さは43尺(13メートル)であり、台座も含めると実に54尺(16.… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 6 1月 1956 釜石には昭和31年の時点で温水プールがあった 昭和31年1月6日の河北新報より。 東北水連と釜鉄真道会が共催で、ヘルシンキオリンピックで800mに出場した谷川禎次郎選手を招き、釜石製鉄所の鈴子プールで水泳教室を開催することとなった。 県内の高校・中学校から60人が参加した。 1月とはいっても寒中水泳というわけではなく、気温は4℃で… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1956 国際港としてのびゆく釜石港(昭和31年1月1日) 昭和31年元旦の河北新報岩手版より。 釜石製鉄所の昭和30年の輸出総額は16万トンで70億円であった。 新春そうそうの1月2日には、日本商船の興名丸(7000トン)が釜石に入港し、アルゼンチン向けにスラブやビレットを積み出すという。 また、松岡開運の松福丸(6890トン)もまた、アルゼンチン向けにビ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 11月 1955 大凶作の時の支援のお礼にと遠野から東京に鹿踊り(昭和30年11月29日) 昭和30年11月29日の岩手日報より。 昭和9年は伝説的な凶作であった。 秋になっても稲は青立ちのまま実らず、娘を売る農家が続出。 それで東京はじめ全国からの支援が集まったのである。 そして21年後の昭和30年、稲は史上まれにみる豊作となり、また県内有数の酪農地帯となり、あの凶作の時の恩に報いる時が… 続きを読む