a盛岡・岩手郡・紫波郡 7月 4日 1962 盛鉄局管内の貨物扱い1位は釜石駅(昭和37年7月4日) 昭和37年7月4日の岩手東海新聞より。 盛岡鉄道管理局は、管内の旅客と貨物の扱い量の番付を発表した。 旅客では、東北本線と奥羽本線と青函連絡船の交わる青森駅がトップで、その次が盛岡駅。 貨物では、釜石製鉄所と魚市場のある釜石駅がトップとなっていた。 2位が青森駅であり、3位がセメント工場のある陸中松… 続きを読む
j東磐井郡 9月 17日 1959 興産相互銀行摺沢支店の新店舗オープン 昭和34年9月17日の岩手日報より。 東磐井郡大東町の興産相互銀行の摺沢支店の新店舗がオープンした。 新店舗は木造モルタルで2階建て。 昭和26年に興産無尽会社が興産相互銀行として発足し、これが北日本相互銀行となるのは昭和41年のこととなる。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 9月 16日 1959 昭和35年度のディーゼルカー配分は、山田線への導入確実(昭和34年9月16日) 昭和34年9月16日の岩手日報より。 この時期、鉄道といえばSLが普通であったが、煙がSLほどは出ない最新鋭のディーゼルカーの導入が各地で待ち望まれていた。 盛鉄局は東北支社に対し、ディーゼルカーの希望順位を以下の通り提出した。 盛岡~仙台の準急1往復 盛岡~釜石の準急「はやちね」の増結用1両 山田… 続きを読む
j東磐井郡 2月 23日 1959 東山町の長坂中学校では修学旅行の旅費を稼ぐためにかくし芸大会(昭和34年2月23日) 昭和34年2月23日の河北新報岩手版より。 東山町の長坂中学校では、毎年5月に東京・日光方面に湯修学旅行に行くのが常であった。 しかし、旅費は1人当たり4千円、服やカバンを揃えると6~7千円は必要であり、この負担に耐えられない1割ぐらいの生徒は、修学旅行に参加できなかった。 そんなまず牛居生徒達でも… 続きを読む
j東磐井郡 9月 7日 1958 東山村に岩手セメント工場が10月に落成(昭和33年9月7日) 昭和33年9月7日の岩手報知より。 この年の10月10日、東磐井郡東山村では岩手セメント工場の落成祝賀式を予定していた。 岩手セメント工場は、東北開発株式会社が20億円を投じて完成させた。 鉄筋コンクリートの工場では、300人の工員が日夜生産に励んでいると言う。 10月10日の落成式では、東北開発株… 続きを読む
j東磐井郡 5月 20日 1958 僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報で報じられたニュース。 東磐井郡室根村の折壁診療所の55歳になる所長が、地位を利用して院内の麻薬を自分に打ち、業務上横領・麻薬取締法違反の疑いで一関区検察庁に書類送検されたという。 昭和30年~32年の間に、注射63本、粉末麻薬65グラムを無断で使用し、それがカルテに残… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 18日 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 25日 1956 両磐地方では葉タバコの種まきが最盛期(昭和31年3月25日) 昭和31年3月25日の河北新報岩手版より。 葉タバコの産地である県南の一関・両磐地方では葉タバコの種まきの最盛期に入った。 増反計画が順調に進みまた品質改善の努力もあり、この地方だけですでに1700町歩、売り上げは7億円近くなっていたと言う。… 続きを読む
j東磐井郡 11月 6日 1955 「岩手初の女性代議士」は今・・・ 昭和30年11月6日の岩手日報より。 婦人参政権10年を特集する記事の中で、「岩手初の夫人代議士」として、昭和21年の第22回衆議院議員総選挙で岩手県選挙区でトップ当選した菅原エン氏の現在を追っている。 そもそも、菅原氏は渋民村では一番の豪農で、盛岡高等女学校(現在の盛岡二高)から戸板裁縫学校高等師… 続きを読む
g北上・和賀郡 8月 12日 1955 気仙沼花火大会と北上灯ろう流しに臨時列車(昭和30年8月12日) 昭和30年8月12日の河北新報岩手版より。 盛鉄局旅客課では、8月14日の気仙沼花火大会と、8月16日の北上灯ろう流しで以下の通り臨時列車を運行するという。 8月14日 574レ 気仙沼22:24~陸中松川23:56 8月16日 4711レ 北上22:02~陸中川尻23:13 467レ 北上21:0… 続きを読む
j東磐井郡 7月 31日 1955 東磐井郡磐清水村でドラム缶が爆発し役場などが焼ける(昭和30年7月31日) 昭和30年8月1日の河北新報岩手版より。 東磐井郡磐清水村の農協売店とポンプ置場の間から出火し、ドラム缶が爆発し役場や民家などが焼ける事態となった。 役場の書類は運び出して無事であったという。 原因は、アベックのタバコの不始末が原因ではないかと見られたという。  … 続きを読む
i一関・西磐井郡 1月 8日 1954 大船渡線の客車が木造から鋼製に(昭和29年1月10日) 昭和29年1月10日の岩手日日より。 それまでの大船渡線の列車は「カラス列車」「山汽車」などと呼ばれていたのだと言う。 それを、本線並みに鋼製客車にするようになったのだと言う。 洗面所や暖房も新しくなり、好評であると言う。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 12月 1日 1953 岩手県内では花巻・黒沢尻・水沢・摺沢に支店網を展開する会社?(S28.12.1岩手日報) 東京に本社のある「大和相互投資金庫」という会社があり、岩手県内では花巻・黒沢尻(北上)・水沢・摺沢(大東町)にあるという。 当時市制していた盛岡・釜石・宮古・一関・大船渡には全く支店が無い。 事業内容もよく分からないが、支店網展開がもっとよくわからない・・・ … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 28日 1953 放火で逮捕された29歳の男「好きな女性(51歳)が冷たくて…」(昭和28年8月28日) 昭和28年8月18日・28日の胆江日日新聞より。 東磐井郡生母村で16日に大火があった。 被害としては以下の通りとなる。 全焼 9戸 半焼 2戸 非住家全焼 33棟 罹災者 78名 損害額 24,166,800円 これを捜査していた国警前沢地区警察署では、25日に東磐井郡田河津村の29歳の男を逮捕し… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 中共からの帰国者のその後(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 興安丸に乗って中国から帰国してきた人々はその後どうなっただろうか。 日本社会に順応しているだろうか。 一関市や西磐井郡では12世帯、27名いたのだという。 その数例を追う記事である。 一関市 42歳男性 昭和19年に三井鉱山本社から満州三井に転任。 引揚後、三井… 続きを読む
j東磐井郡 3月 4日 1953 やきもちで風呂に漆を入れる復讐(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 3月4日、千厩地区警察署では、薄衣村の農業の54歳の男を逮捕した。 これは、親しくしていた47歳の女性が、同じ村の64歳の農業のところで働いているのを見て、前月の26日に、やきもちからその64歳の男性の家の風呂に漆の皮を入れて、この家の家族5名に3週間のうる… 続きを読む
j東磐井郡 1月 9日 1952 東磐井郡薄衣村の日雇が子供を千葉県の農家に売って検挙(昭和27年1月9日) 昭和27年1月9日の岩手新報より。 東磐井郡薄衣村の貧しい日雇いが、娘や息子を千葉県市川市や松戸市の農家に売ったというのである。 それで国警一関地区警察署が逮捕したというもの。 … 続きを読む
j東磐井郡 10月 12日 1950 あの事件はどうなった?(昭和25年10月12日) このブログを始めて1週間が経過し、どのように更新するのか、どのように検索に引っかかるのかということもおぼろげながら分かってきた。 色々な事情からセンシティブと思われる記事については、記事ごとにnoindex, nofollowすればいいということもわかった。 しかし、それだけでは検索に引っかかる可能… 続きを読む
j東磐井郡 7月 1日 1950 千厩銘酒「玉の春」の井戸が梅雨で埋没(S25.7.1岩手新報) 梅雨による大雨で県南に土砂崩れが発生し、千厩の銘酒「玉の春」の井戸も埋没してしまったというニュース。 ただ、仕込みの時期ではなかったのが不幸中の幸いか。 ちなみに「玉の春」は令和6年現在も千厩で盛業中。… 続きを読む
j東磐井郡 1月 12日 1950 東磐井郡の「糸姫」は業界不況で求人激減(S25.1.12岩手新報) 岩手県内有数の繭所として知られていた東磐井郡は、女性は嫁入り前に他の地方に製糸工場に働きに出るようになっていたようだ。 ところが、この時期は業界不況で、全国からの「糸姫」の求人に少なくなっていたようだ。 … 続きを読む
f花巻・稗貫郡 5月 5日 1949 県南各地で豪華東西浪曲大会(S24.5.5新岩手日報) 広告欄より。 県南の各地で「豪華東西浪曲大会」が開催されるという。 ちなみに黒沢尻(北上)や石鳥谷まで「県南」に入れるかどうかは議論が分かれるが、岩手県南バスの路線がなかったのは、この中では石鳥谷町のみ。… 続きを読む
j東磐井郡 9月 18日 1948 あまりの財政難に東磐井地方事務所では借金してまで自費で出張(昭和23年9月18日) 昭和23年9月18日の岩手新報より。 岩手県の財政難は申告であった。 千厩の東磐井地方事務所では、予算の支給遅延で各課員がやむなく自腹で出張し、中には借金してまで行くものもいたという。 生産されるのは数ヶ月後で、生活に追われる課員の中には出張を忌避して行政に支障が生じる事態すら危惧され、対策が急がれ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 9月 14日 1948 大船渡線を仙台管理部から盛岡管理部に移管なんて反対だ! 昭和23年9月14日の岩手新報より。 盛岡鉄道管理局が発足する昭和25年より以前は、東北の鉄道は仙台鉄道局の管轄であった。 その中でも「仙台管理部」「盛岡管理部」とあったのだが、大船渡線はこの時点では仙台管理部の管轄であった。 これを、盛岡管理部に移管しようという話になったのだが、沿線の市町村会がこ… 続きを読む
j東磐井郡 8月 1日 1944 東磐井郡の大日本婦人会員が傷痍軍人に蕨・ぜんまいを贈る(昭和19年8月1日) 昭和19年8月1日の岩手日報より。 東磐井郡下の大原・興田・折壁・奥玉・大津保・田河津・猿沢・長坂・舞川・門崎・渋民の各村の大日本婦人会支部員は、ワラビやゼンマイを採取しこれを乾燥したものが150貫(562.5kg)に達したので、これを傷痍軍人の為に送ることにした。 &n… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 7日 1943 悪質なデマで米の供出を阻んだ村長を逮捕(昭和18年4月7日) 昭和18年4月8日の岩手日報より。 岩手県警察部特高課では、悪質なデマで米の供出を阻んだとして、4月7日に以下の3名を逮捕したという。 以下の表現は記事中の表現ママ。 岩手郡某村長 東磐井郡某村長 和賀郡谷内村某 … 続きを読む
j東磐井郡 1月 11日 1942 東磐井郡黄海青年団「ゴム靴不足を訴えるより、ゴム靴依存を排撃しよう!」(昭和17年1月11日) 昭和17年1月15日の岩手日報より。 アメリカとも戦争が始まり、物不足はより深刻化していた。 それで、ゴム靴の配給も不足がちになっていったが、ゴム靴を要求するわけではなく「ゴム靴依存を排撃すべきだ!」と、東磐井郡の黄海青年団は1月11日~15日の間、藁加工練成会を開催し、ツマゴ、ユワケ等の藁靴の製作… 続きを読む
j東磐井郡 11月 1日 1941 千厩に「たばこ神社」(昭和16年11月1日) 昭和16年11月1日の岩手日報より。 葉タバコの産地として名高い東磐井地方では、紀元2600年を記念して「たばこ神社」を設立した。 そして水沢の駒形神社の宮司により、鎮座祭がおこなわれた。 現在でもなお、東磐井郡の観光スポットとして名前が上がっている。 … 続きを読む
j東磐井郡 7月 1日 1939 千厩や気仙沼で跋扈していた山林詐欺を東京で逮捕(S14.7.1新岩手日報) この当時、千厩や気仙沼の方では、山林詐欺が横行していたようだ。 それは、青森出身の男で、「資金不足が生じたから一時貸してくれ」などとうまいことを言って、金を巻き上げていたようであるが、東京で逮捕されたのだという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 3月 1日 1935 炭焼きしか知らない山の娘は親の死で孤児となり…(昭和10年3月1日) 昭和10年3月3日の岩手日報より。 3月1日の17時半ごろ、一関警察署に14歳から15歳の女の子がきた。 曰く「私をどこかに世話してください」と。 この女の子の本籍地は福島県のようであるが、父は炭焼きをして山から山を渡り歩き、数年前から東磐井郡大津保村の津谷川でこもって炭焼きをしていた。 しかし、昭… 続きを読む