l全県 6 1月 1960 杉浦幸雄「チャキチャキ娘」(昭和35年1月6日) 昭和35年1月6日の岩手日報より。 この当時連載されていた4コマ漫画は杉浦幸雄「チャキチャキ娘」。 杉浦は明治生まれであるが女性描写には定評があり、「ヒゲとボイン」の小島功にも影響を与えたという。 確かにシンプルな描線で描かれた女性は「令和の漫画」として掲載してもさほど違和感無く受け入れられるのでは… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6 1月 1960 盛岡市内封切館の映画案内(昭和35年1月6日) 昭和35年1月6日の岩手日報より。 盛岡市内の封切館のプレイガイド。 盛岡東映、東宝第一、盛岡日活、盛岡松竹は分かるとして、中央ホールは大映、中劇と国劇は洋画かな・・・ … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5 1月 1960 民衆駅になって初めての年末年始を迎えた盛岡駅(昭和35年1月5日) 昭和35年1月5日の岩手日報より。 盛岡駅は前年11月19日に「民衆駅」として駅舎が新しくなり、新しい時代を迎えることになった。 その初めての年末年始の輸送は非常に好調なものとなった。 新生活運動による「正月一本化」で、農山村でも新正月で正月行事を行うところが多くなり、年末年始の輸送は増加傾向にあっ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 5 1月 1960 東北一の商港は釜石港(昭和35年1月5日) 昭和35年1月4日の岩手日報より。 昭和34年1月~12月の港別の輸出入で、釜石港は輸出55372トン、24億8300万円、輸入は99万1600トン、61億9300万円で東北で一位であったという。 輸出はブラジル・タイ・台湾向けのレールが主で、輸入は鉱石・スクラップ・石炭といずれも釜石製鉄所に関係す… 続きを読む
l全県 3 1月 1960 ラジオ・テレビ番組表(昭和35年1月3日) 昭和35年1月3日の岩手日報より。 この当時のラジオ・テレビ番組表。 岩手放送はテレビの方は「IBCテレビ」になっているが、ラジオは「ラジオ岩手」のまま。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 昭和35年の釜石の初売り広告たち(S35.1.1岩手東海新聞) 昭和35年、元旦の岩手東海新聞は、釜石市内の各店舗の初売り広告で埋め尽くされている。 この記事を書いている令和5年現在、現存する店は無いのではないだろうか。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石・錦館で「薄桜記」「鉄火場の嵐」公開!(S35.1.1岩手東海新聞) 釜石・錦館で「薄桜記」「鉄火場の嵐」を公開する。 「薄桜記」は昭和34年11月22日初公開の大映作品。出演は市川雷蔵・勝新太郎・真城千都世など。 「鉄火場の嵐」は昭和35年1月15日公開の日活作品。出演は石原裕次郎・北原三枝・芦田伸介など。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石・シネマセンターで「パイナップル部隊」「夜霧の決闘」公開!(S35.1.1岩手東海新聞) 釜石のシネマセンターで「パイナップル部隊」「夜霧の決闘」を公開する。 「パイナップル部隊」は昭和34年12月27日初公開の松竹作品。出演は杉浦直樹・小坂一也・伴淳三郎・十朱幸代など。 「夜霧の決闘」は昭和34年12月1日公開の東宝作品で、出演は鶴田浩二・三橋達也・神戸一郎など。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1960 元旦の釜石発盛岡行きの始発バス(昭和35年1月1日) 昭和35年1月4日の岩手東海新聞より。 仙人トンネルが開通して初めての正月、岩手東部バスの釜石発盛岡行きの急行バスの乗車記。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石の長寿部落(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この年、日本一の高齢者であったのは釜石市尾崎白浜に住む中村重兵衛氏であった。 この尾崎白浜と言う集落、釜石湾の南側にあり、釜石港から1日数回、巡航船が出ていると言う人口700人の集落であった。そのうち、75歳以上のお年寄りは23人もいると言う。 110世帯のほ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石・中妻地区を緑の理想都市に(昭和35年1月1日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 この当時、釜石駅の西側の中妻地区は、新聞の表現をそのまま借りれば「釜鉄ビル住宅、ハーモニカ長屋の間に無計画にひしめき合うスラム街」だったのだと言う。 これを、5年後には近代都市として再生させようと言う計画であった。 釜石市が都市計画区域11万坪、2億9000万… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 10年後の釜石の未来図(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 昭和35年の元旦を記念して、「10年後の釜石の理想図」と言う記事が出ている。 それを、釜石市都市計画課の23歳の職員に聞いてみたのである。 まずは、工業都市として、人口増加をどうするか、また観光客の楽しめる都市としての名を轟かせようと言うことであった。 また、工場… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1960 盛岡バスセンターの向かいに昭和石油ガソリンスタンド完成(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 盛岡バスセンターの前に昭和石油盛岡モデルステーションが完成するという。 ・・・というか、この時点では盛岡バスセンターの開業はこの年の4月20日であり、まだバスセンターとしてはオープンしていなかったはず。 それでもバスセンターに対する期待は大きかったのだろうか。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1960 新春映画は料金の安い二番館で!(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 かつて、映画館は新作映画を上映する「封切館」のほかに、古い映画を安く上映する「二番館」「三番館」「名画座」と分けられていた。 こうしてみると、昭和30年代始め頃までは松竹系の封切館であったSY内丸座は二番館となっている。 SY内丸は歴史のある映画館であるが、映… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 1月 1960 お正月映画は盛岡市内の封切館で!(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 世はまさに映画の全盛期。 特に正月は各社とも新作映画の封切りをぶつけて来る書き入れ時であった。 盛岡中劇は洋画で「北々西に進路を取れ」(原題:North by NorthWest)と「それはキッスで始まった」(原題:It Started with a Kiss… 続きを読む
m県外・参考 1 1月 1960 日興証券仙台支店「繁栄の1960年 マネービルを始めましょう!」(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手日報の広告欄より。 日興証券仙台支店が「マネービルを始めましょう」と広告を打っている。 マネービル… なんだか懐かしい響きである。 少なくとも昭和50年代中頃まではこんなコピーを見ていた覚えはある。 ところで、他の広告が七十七銀行だったり三色最中だったり、仙台の企業のものばかりだ… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石・国際劇場の新春第2弾は「丹下左膳 妖刀濡れ燕」「べらんめえ芸者」(昭和35年1月3日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 釜石・国際劇場の新春映画第2弾は「丹下左膳 妖刀濡れ燕」と「べらんめえ芸者」を公開する。 「丹下左膳 妖刀濡れ燕」は昭和35年1月15日公開の東映映画で、大友柳太朗・丘さとみ・青山京子などが出演。 「べらんめえ芸者」は昭和34年12月9日公開の東映映画で、美空ひば… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石・錦館では「二人の武蔵」「口笛が流れる港町」を東京より先行公開!(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 釜石・錦館では「二人の武蔵」「口笛が流れる港町」を東京に先駆けて公開する。 「二人の武蔵」は昭和35年1月3日公開の大映映画で、長谷川一夫・勝新太郎・本郷功次郎・市川雷蔵といった時代劇スターが一堂に出演。 「口笛が流れる港町」は昭和35年1月3日公開の日活映画で、… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1 1月 1960 釜石・シネマセンターの正月映画は「わが愛」「侍とお姐ちゃん」(昭和35年1月1日) 昭和35年元旦の岩手東海新聞より。 釜石のシネマセンターでは正月映画として「わが愛」「侍とお姐ちゃん」を上映する。 「わが愛」は昭和35年1月3日公開の松竹映画で、有馬稲子・佐分利真・乙羽信子などが出演。 「侍とお姐ちゃん」は昭和35年1月9日公開の東宝映画で、三橋達也・草笛光子・団令子・夏木陽介な… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 29 12月 1959 釜石・国際劇場で「任侠中山道」を東京・盛岡より先行して封切上映(昭和34年12月29日) 昭和35年1月1日の岩手東海新聞より。 釜石の国際劇場では、「任侠中山道」を盛岡より先行して封切上映する。 「東京・盛岡より先行封切」というのが力が入っている。 「任侠中山道」は、昭和35年1月3日公開の東映映画で、片岡千恵蔵や萬屋錦之介が出演。 同時上映する「警視庁物語深夜便130列車」は、昭和3… 続きを読む
l全県 18 12月 1959 4コマ漫画に見る「学生運動が市民にどう思われていたか」(昭和34年12月18日) 昭和34年12月18日の岩手日報より。 この時に連載されていた「スカタン君」という4コマ漫画に、当時の学生運動がどのようにみられていたかを垣間見ることができる。 サラリーマン2名が赤ちょうちんで一杯やろうとしている。 そこへ酔っ払った学生がジグザグに歩いてくる。 まるで当時の安保反対のジグザグデモの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 12月 1959 盛岡~福島のディーゼル準急「やまびこ」は人気上々(昭和34年12月18日) 昭和34年12月18日の岩手日報より。 それまでの列車といえば、上野行きの特急「はつかり」も含め、すべてが蒸気機関車の引っ張る列車だった。 そこへ、煙の出ない(SLほどは)ディーゼル準急「やまびこ」が盛岡~仙台~福島に颯爽とデビューしたのはこの年の2月1日。 乗車率は130%~150%で人気が高く、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 12月 1959 滝沢の女殺しは「俺がやった」という男出現(S34.12.18岩手日報) この年の3月24日に発生して未解決であった滝沢村の女殺しについて「俺がやった」という男が山形県鶴岡市に現れたが、信憑性に疑問点ばかりだった。 … 続きを読む
k大船渡・陸前高田・気仙郡 17 12月 1959 岩手開発鉄道に新しい機関車(昭和34年12月17日) 昭和34年12月19日の岩手日報より。 岩手開発鉄道では、牽引力不足による滞貨で悩んでいたところ、新しいディーゼル機関車が盛駅に到着し、いよいよ輸送力の増強が期待できる状態になったという。 … 続きを読む
人権・マイノリティ 14 12月 1959 【参考】北朝鮮帰国 第1陣出航 昭和34年12月14日、北朝鮮への帰国第一便が新潟から出航。(TBSスパークルより) https://youtu.be/ByZYHAv-MLs… 続きを読む
g北上・和賀郡 2 12月 1959 北上で東北最後の馬市(昭和34年12月2日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 このシーズンでは東北で最後に開催される北上の馬市は、北上市馬検場で北海道産馬1000頭を集めて開催された。 まだ農耕や移動には馬力が必要だった時代である。 北上(黒沢尻)の馬市は、東北で最後の「おせり」として、関東や関西からも集まるにぎやかなものであったという。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1959 盛岡~秋田の二級国道全通に向けて葛根田橋が起工式(昭和34年12月1日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 盛岡と秋田を最短で結ぶ二級国道は、まだ全通していない状態であった。 雫石町の葛根田川にかかる葛根田橋の起工式が阿部知事、雫石町長、建設省盛岡建設事務所長などの列席のもとに行われた。 昭和36年に竣工の予定で、表日本と裏日本をつなぐ「陸の運河」としての機能が期待さ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 1 12月 1959 山田線にディーゼルカー導入で「カラス列車」追放へ(昭和34年12月1日) 昭和34年12月2日の岩手日報より。 それまで、盛岡~宮古を結ぶ山田線といえば急勾配やトンネルをC58や8620といった蒸気機関車が喘ぎながら、機関士も客も煙で真っ黒になりながら移動するのが当たり前の「カラス列車」だった。 このような中、12月1日、山田線の盛岡~釜石にディーゼルカーは導入されること… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 29 9月 1959 日詰で花巻バスが製材所に突込む(昭和34年9月29日) 昭和34年9月29日岩手日報より。 朝6:50頃、紫波町日詰の路上を回送中の花巻バスが、前方から来た人をよけようとして左手前方の製材所に突っ込むという事故が発生。 運転手が両ヒザに10日間程度のケガ、バスは15,000円、製材所は50万円程度の損害であったという。 昭和30年の北上・飯豊橋のバス事故… 続きを読む
l全県 29 9月 1959 カミナリ親父とカミナリ族 昭和34年9月29日の岩手日報に掲載された漫画より。 カミナリ親父も寄る年波で引退だという。 しかし今度は息子の方がカミナリ族になっているというオチ。 当時、オートバイでスピードを出しまくる「カミナリ族」が各地で問題になっていた。… 続きを読む