l全県 12月 13日 1958 昭和33年の岩手県10大ニュース 昭和33年12月13日の岩手日報によれば、「読者が選んだ県内十大ニュース」は以下の通りであったという。 国鉄職員ら6人が八幡平で遭難(560票) 盛岡で一家3人殺し(511票) 台風21・22号大荒れ(474票) 農民の父、国分謙吉翁死去(431票) 岩教祖の勤務評定反対闘争(424票) 四十五年来… 続きを読む
i一関・西磐井郡 10月 5日 1958 一関の高校生にアンケート「高校の大学予備校化をどう思う?」(昭和33年10月5日) 昭和33年10月5日の岩手報知より。 大学の受験戦争は、年々激化しており、予備校に1年か2年通える事はやむを得ないと言う価値観が広がっていた。 高校としても、何とか大学に進めたいと学力コンクールや模擬テストを行って学力の向上に努めており、この結果高校は大学の予備校化していると言われるようになった。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 27日 1958 毛越寺にNHKのテレビクルーが来ます(昭和33年8月27日) 昭和33年8月27日の岩手報知より。 NHKでは、目下行われている平泉町の毛越寺史跡調査の模様をテレビによって放送することになり、9月11日に係員が来県することになったと言う。 うん?また、NHK盛岡放送局も、ラジオ放送のために9月6日ごろ録音をすることになったと言う。 ちなみに、この… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 6日 1958 一関地区の中学校では免許外担当授業の教員が半数以上(昭和33年7月6日) 昭和33年7月6日の岩手報知より。 岩手県教組西磐井支部では、勤評と定員増の運動資料とするために、中学校の免許外教科の担当状況調査を進めていた。 その状況は、中学校教員の240人中129人が免許外を担当しており、割合が53%に上っていた。 週の時間数はのべ1,142時間で、免許外教科はのべ711科目… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 4日 1958 一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 この当時、東北本線の複線化は着々と実現しており、昭和33年度のうちには前沢〜水沢の複線化が完成する予定であったと言う。 また、この区間は、盛鉄局で初めてと言われるコンクリート枕木を使用することになったのだが、このコンクリート枕木は、技術を要するものであるだけに工事… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関保健所「犬は繋いでおきましょう!」(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関保健所では、飼い犬をつないでおくように注意喚起している。 繁殖期で犬の気が荒くなっているからではないかと見られていた。 犬にかみつかれた人が増加しており、昭和33年に入ってからも郵便配達から子供に至るまで10件を数えているという。 危険な犬はもちろん処分、飼い… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関保健所「粗悪な氷水のシロップに注意!」(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 夏真っ盛りではあるが、一関保健所は氷水のシロップに注意するように注意喚起している。 「普通味付けに使うシロップは、天然の果汁ではなく、着色料・芳香剤・甘味料などを業者が別々に購入して各自が調合している。 ところが着色料には体に害のある不良品が往々にしてあり、このよ… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日) 昭和33年7月1日の岩手報知より。 昭和23年4月1日に一関町は周辺の山目町・中里村・真滝村を合併し、盛岡・釜石・宮古に次ぐ県内4番目の一関市として市制した。 それから10年が経過し、10周年記念式典を行うこととなった。 そこで、以下のような記念行事を行うこととなった。 物故職員慰霊祭(7月2日、願… 続きを読む
i一関・西磐井郡 7月 1日 1958 県南バス人事(昭和33年7月1日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 県南バスでは7月1日付で人事異動を行い、一関営業所長は水沢営業所長に、後任は大船渡営業所から来るという。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 6月 30日 1958 一関市の人口59,295人(昭和33年6月30日) 昭和33年7月4日の岩手報知より。 6月末現在の一関市の世帯数は10,827世帯、人口は59,295人(男29,108人、女30,187人)であったという。 前月に比べ12世帯、169人の減少。 地区別の人口は以下の通りであったという。 一関・・・14,397人 山目・中里・・・17,796人 真滝… 続きを読む
j東磐井郡 5月 20日 1958 僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日) 昭和33年5月20日の岩手日報で報じられたニュース。 東磐井郡室根村の折壁診療所の55歳になる所長が、地位を利用して院内の麻薬を自分に打ち、業務上横領・麻薬取締法違反の疑いで一関区検察庁に書類送検されたという。 昭和30年~32年の間に、注射63本、粉末麻薬65グラムを無断で使用し、それがカルテに残… 続きを読む
b二戸・二戸郡 4月 20日 1958 福岡町上斗米に警察署長も注目の防犯組織 昭和33年4月20日の読売新聞岩手版では、二戸郡福岡町上斗米に伝わる防犯組織について紹介している。 それは「上斗米青年淬砺会」というのだそうで、なんと藩政時代から伝わるのだという。 男子は中学卒業とともに入会 40歳で定年 その定年前でも、戸主となれば上部組織の「報徳会」入りし、「捕縄」を持つことが… 続きを読む
l全県 4月 19日 1958 ラジオ岩手の番組表(昭和33年4月19日) 昭和33年4月19日のラジオ岩手の番組表は以下の通りであった。 ちなみに昭和47年に単位がKCからkHzになり、昭和53年に10kHz刻みから9kHz刻みに変わる前のことである。 JODF(盛岡)580KC JODL(前沢)、JODM(釜石)1060KC 7:20 希望のアルバム 7:30 朝の童謡… 続きを読む
c久慈・九戸郡 4月 19日 1958 弘前大学に野辺地分校? 昭和33年4月19日の読売新聞岩手版には、大学合格者情報が載っている。 久慈高校から弘前大学教育学部野辺地分校に二次募集で1名合格したことが報じられている。 弘大って野辺地分校なんてあったんだ・・・ Wikipediaを探してみるとすぐに行き当たった。 (Wikipedia「青森青年師範学校」より)… 続きを読む
l全県 4月 18日 1958 中央の押し付けではなく、岩手県の実情に合った道徳教育をしよう(昭和33年4月18日) 昭和33年4月19日の岩手日報と、昭和33年4月20日の読売新聞岩手版より。 岩手県教育委員会は4月18日、指導主事室・県教育研究所・現場教員の三者で、「道徳教育研究機関」を設けることにした。 このことにより、県の実態に即した道徳教育を目指すというもの。 文部省の通達では「毎週1時間道徳教育の時間を… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 17日 1957 八戸の漁船3隻が岩手県警の警備船に捕まる(昭和32年10月17日) 昭和32年10月18日のデーリー東北より。 海上パトロールしていた岩手県警の警備船「さんりく」は、九戸海域に出没していた密漁船を逮捕して、久慈の玉の脇港に引き上げた。 これらの密漁船は、久慈市宇部町三崎トドが岩 3マイル海上の野田湾海域で、禁止漁業の底引き網を使用して、ナメタガレイなどを密漁していた… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 15日 1957 久慈市長の訪中に際し壮行会(昭和32年10月15日) 昭和32年10月17日のデーリー東北より。 北京市長の招きで、「北日本港湾都市市長団」の三役として久慈市長も中国に行くこととなった。 それに対して、10月15日、市役所別館にて壮行会が150人を集めて行われた。 市長は「漁業、水産物の交易とコルホーズが中国ではどのようになっているかを見極めたい。また… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 12日 1957 久慈で郵便友の会の結成式に東北郵政局長まで臨席(昭和32年10月12日) 昭和32年10月11日のデーリー東北より。 久慈で初めての「郵便友の会」が、久慈高校・久慈中学校・長内中学校を中心に結成されることになり、10月12日13時から久慈中学校で結成式が開催され、東北郵政局長までが臨席するという。 その席上、久慈海岸や小袖海岸などの観光地宣伝もするのだという。 中学生や高… 続きを読む
c久慈・九戸郡 10月 10日 1957 栗拾いで貯めたお金で八戸に修学旅行(昭和32年10月10日) 昭和32年10月12日のデーリー東北より。 種市町の中野小学校では、初めての修学旅行のために、毎日放課後に裏山で栗拾いをして資金を積み立てたのだという。 そして10月10日、6年生43人が八戸へ行き、蕪島、八戸港、ゴードー酒精八戸工場、デーリー東北を見学し、丸美屋デパートでお土産を買っていったのだと… 続きを読む
hスポーツ 8月 10日 1957 江刺で初のボートレース(昭和32年8月10日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 江刺商工会が主催で、人首川で江刺で初のボートレースが開催されたという。 ただし「ボートレース」とは言っても競艇ではなく、優乱用のボートを漕ぐ競技会である。 以下の部に別れて開催されたという。 一般男子200m 高校男子200m 小学校100m 中学校100m… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 7日 1957 江刺と金ヶ崎を結ぶ岩瀬橋が落下寸前で重量制限(昭和32年8月7日) 昭和32年8月15日の岩手民声新聞より。 8月5日の豪雨で、金ヶ崎の国道の渋川橋が落下寸前となってしまい、自動車は(水沢ではなく)岩谷堂を経由するルートを取ることになった。 しかしこの岩谷堂ルートにしても時ならぬ自動車ラッシュで岩瀬橋が落下寸前となってしまい8月7日から4トン制限を敷くこととなった。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 6月 26日 1957 旧渋民村民「合併したらなんで村名が玉山村なの…」 「昭和の大合併」で多くの町村が合併したが、その悲喜こもごもを昭和32年6月26日の読売新聞は報じている。 青森県十和田市は三本木市から改名したら、上北郡十和田町や秋田県十和田町と混同されるように。電話局も「十和田局」となり、「十和田湖局」と混同されるようになった。(当時は自動電話ではなく、まず交換手… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 4月 20日 1957 中共から来た青年団がわんこそばに大喜び 昭和32年4月20日の読売新聞岩手版より。 中華人民共和国(当時は国交なし)から青年代表団5名が来日していたが、4月18日には青森から盛岡に来て繋温泉で宿泊。 翌19日には岩手大学農学部を見学し、阿部知事の招待に応じわんこそばで昼食会を行った。 この日の午後には県青年協会との交歓会に出席。 その後一… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 4月 19日 1957 花巻のDQNが土沢で強盗殺人(昭和32年4月19日) 昭和32年4月19日の明け方のこと。 花巻警察署東和派出所に「農協の土沢支所に賊が入って宿直員を殺して逃げた」という通報が入った。 農協に駆けつけてみると、宿直員が頭を割られて瀕死の重傷だ。 直ちに県立東和病院に運ばれた。 状況としては。4月19日に日が変わった午前3時ごろ、階下の事務室で不審な物音… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 4月 18日 1957 遠野署が釜石線の列車でヤミ米46俵押収(昭和32年4月18日) 昭和32年4月19日の岩手日報より。 遠野警察署は3年ぶりに釜石線でのヤミ米の取り締まりに乗り出したという。 遠野駅を14:08に発車する釜石行きの415列車を急襲、釜石へ運ぼうとしていたヤミ米134包、2760kgを押収し、釜石市内の男1名、女4名を食糧管理法違反で逮捕した。 列車の網棚や椅子の下… 続きを読む
l全県 4月 1日 1957 昭和32年、新たに開校した学校 昭和32年4月1日の岩手日報より。 岩手県内で新たに開校した小・中学校は以下の通り。 ・盛岡市立中津川小学校 2学級 40名 ・和賀町立笠松小学校 6学級 221名⭐ ・田老町立田老第三小・中学校 4学級 106名 ・福岡町立根森小学校 2学級 63名 ・姉帯村立面岸小・中学校 4学級 113名 ・… 続きを読む
f花巻・稗貫郡 2月 15日 1957 東和町で巡回映画のタダ見を断られて放火(昭和32年2月15日) 昭和32年2月17日の河北新報岩手版より。 東和町の仲町公会堂で映画会が開催されたが、それをただで見ようとした大工の男がいた。 映画会が開催されたが、それをただで見ようとした大工の男がいた。 もちろん断られたが、それに逆ギレしたその男は、屋根に放火したのである。 発火と同時に付近の人々が発見し、屋根… 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 30日 1957 釜石鉱山の不穏な新聞広告 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版では何やら不穏な広告が掲載されている。 釜石鉱業所の社員や関係者を自称して、鉱山の買収やら探鉱調査やらの話をしていた男がいたらしい。 それで、その実名を挙げて「ご注意ください」と広告を打っている。 … 続きを読む
e釜石・遠野・上閉伊郡 1月 29日 1957 釜石で人骨12体!?(昭和32年1月29日) 昭和32年1月30日の読売新聞岩手版より。 1月29日、釜石市平田で開田工事をしていると、地下2~3尺(60~90cm)の所から人骨が12体出てきたのだという。 おそらくは、昭和8年3月3日の三陸大津波の犠牲者ではないかと推定された。 … 続きを読む