a盛岡・岩手郡・紫波郡 25 4月 1958 盛岡市立高校が加賀野に移転 下小路にあった盛岡市立高校がそれまでの校地を下小路中学校に譲渡し、加賀野に移転することになった。 盛岡市立高校は昭和24年に、盛岡市立女子高校と盛岡市立女子商業高校を合併して発足した女子校であった。 これが共学化するのは、この翌年の昭和34年からである。 共学化を見越した校舎の移転だったのであろう。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 24 4月 1958 早くもコイノボリ 昭和33年4月24日の岩手日報より。 翌月の「こどもの日」を前に盛岡のKデパートではコイノボリが早くも泳いでいる、というニュース。 記事の原文に「Kデパート」とぼかして書いているのだが、どう見ても川徳デパート。ここで仮名を使う意図がよく分からない。 それはともかく、当時中ノ橋にあった川徳から中津川の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 23 4月 1958 岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) 昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1958 いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス 昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。 いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1958 盛岡東宝第一劇場で「無法松の一生」大公開! 昭和33年4月21日の岩手日報の広告欄より。 東宝直営の第一劇場では「無法松の一生」を公開するのだという。 (封切という表現は使っていない) 「無法松の一生」を稲垣浩が監督するのはこれが初めてではなく、昭和18年に大映によって阪東妻三郎主演によって初公開されたのだが、お色気シーンを内務省に検閲され、… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 22 4月 1958 盛岡東映で「大菩薩峠 第二部」「月の輪族の逆襲」封切で東京同時大公開! 昭和33年4月21日の岩手日報の広告欄より。 「大菩薩峠 第二部」は、昭和10年の日活(大河内伝次郎主演、稲垣浩監督)に始まり、昭和28年に東映(片岡千恵蔵主演、渡辺邦男監督)でも映画化されている。 今回は東映で片岡千恵蔵が主演で、監督は内田吐夢のバージョンとなる。 また、「変幻胡蝶の… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 20 4月 1958 盛岡・国劇で「殿方ご免あそばせ」「船の女」公開!(昭和33年4月20日) 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 盛岡の洋画専門館・国民劇場では4月20~28日の間、「殿方ご免あそばせ」と「船の女」を公開する。 「殿方ご免あそばせ」(原題:Une Rarisienne)はフランス映画で日本での初公開は昭和32年12月21日。 主演は当時マリリン・モンローと並び立つセ… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1958 修学旅行は岩手日報事業団の旅行会で! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 新聞社はなぜか旅行会社も持っていることが多い。 大手町の産経新聞もそうだった。 朝日新聞にも「朝日旅行」があるし、読売新聞にも「読売旅行」がある。 これは新聞記者の「夜討ち朝駆け」でいつしか庶務部門が「旅行会社」のスキルまで獲得してしまったということなの… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1958 大通り・上田商店で焼け残り品大売出し(昭和33年4月19日) 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 この頃、盛岡の大通で火事があったらしい。 それで焼け残り品を大セールということになったらしい。 ところでこの上田商店というのは、あの 〽ファッションシャトー ウエダ ファッションシャトー ウ・エ・ダ ・・・のあれ? … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1958 岩手でも日食を観測できた 昭和33年4月19日の日食は、Wikipedia仁も独立して項目がある。 日本の南の報では、金環食を観測することができたようである。 これが岩手ではどうだったか・・・ 盛岡でも日食を観測できるとあり、盛岡一高の天文部も、盛岡地方気象台の屋上に陣取って午前中から大張り切りであった。 そして13時11分… 続きを読む
l全県 19 4月 1958 亀を売りましょう! 昭和33年4月19日の岩手日報の広告欄より。 仙台市内の卸売業者であるが「亀を売りましょう!子供さんが喜びますよ!」と。 令和の今だと、このような売り方をしていると「命を『面白く売れる』とは何ごとですか!」などと、動物愛護的な所からクレームが来かねない調子のような気がする。 でもこの時代は昭和33年… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 19 4月 1958 松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」公開! 昭和33年4月18日の岩手日報の広告欄より。 「明19日大公開!」として、松竹内丸座で「若い広場」「花のうず潮」の公開の宣伝をしている。 「若い広場」は高千穂ひづるが主演で、この広告によれば「10代のみずみずしい肢体を未知の人生に激しく燃やす四人の高校三年生!」ということで、何というか「健康的なお色… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 4月 1958 信用金庫の職員が一家3人殺して逃亡(昭和33年4月18日) 昭和33年4月18日に日が変わった丑三つ時。 盛岡市の寺町である新馬町の長屋から、住人の主婦の悲鳴が上がった。 「誰か来てーーーッ!」 何事かと思って眠りを破られた長屋の住人が集まってくる。 「どうしました?」 「何でもないんです」 ああ、そういえばここには19歳の養子がいたんだった。 喧嘩でもした… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 18 4月 1958 タクシーに乗るならトヨペットコロナをお選びください 昭和33年4月18日の岩手日報に掲載された広告より。 広告主は岩手トヨペット。 この時点ですでに、県域単位の販社を持っていたのだ。 そしてコロナをタクシーに使用しているタクシー会社も掲載している。 盛岡タクシーはそうではなかったのね・・・ … 続きを読む
m県外・参考 23 2月 1958 八戸・丸美屋の決算期棚ざらえセール!(昭和33年2月23日) 昭和33年2月23日のデーリー東北より。 八戸の丸美屋では決算期棚ざらえセールを行うという。 純粋に青森のニュースではあるが、久慈や軽米あたりからは買い物に行ったかも知れないので。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 13 2月 1958 新年の晴れ姿 昭和33年2月13日の朝日新聞岩手版より。 「岩手サロン新年晴姿」という読者投稿写真のコーナーがあったようで、「おそろいで」という題で投稿されている。 撮影者は盛岡市の人のようなので、盛岡市内なのだろう。 多くの女性が和服姿となっている。 ちなみに現在なら肖像権がどうとかで「写真作品」として投稿でき… 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 30 1月 1958 岩手県立美術工芸高校・・・? 昭和33年1月30日の読売新聞より。 岩手県内の全日制公立高校の出願状況がまとまったことを報じている。 大まかにみると、市部の名門校が1.5倍前後の高倍率となっている。 そして、郡部の高校は定員割れを起こしている。 ところで、この中で「美術工芸高校」というのが気になる。 30人の定員に16人の出願。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 1月 1958 痔(ガッチャキ)はなおる!(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 デーリー東北は北奥圏(一戸~九戸までX戸と付く地域)全体の新聞であるとは言え、やはり青森の新聞でる。 「痔」などと言われても青森の人には理解できるわけはないので、ちゃんと「ガッチャキ」をと入れるわけです。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 1月 1958 久慈港から玉の脇岸壁に至る諏訪海岸線道路が九分通り舗装(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 久慈建設事務所では久慈港から玉の脇岸壁に至る諏訪海岸線道路の舗装工事が九分通り完了した。 大しけの度に泥んこになる状態がこれで解消するという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 12 1月 1958 種市町に初の下水道(昭和33年1月12日) 昭和33年1月12日のデーリー東北より。 下水道の無い種市町の駅前通りは、街中に汚水が流れ泥んこ状態であったという。 それで、昭和32年から2ヶ年計画で下水道工事を進めていた。 消火用水路を兼ねるもので、国庫補助5割で昭和32年度は駅前の200メートルが完成するという。 というか、下水… 続きを読む
c久慈・九戸郡 11 1月 1958 久慈・玉の脇川に砂防ダム(昭和33年1月11日) 昭和33年1月11日のデーリー東北より。 この時期、玉の脇漁港はサバの漁場として注目を浴びていたようである。 しかし、玉の脇川の土砂が流出し、岸壁付近が年々浅くなって行っていることから、玉の脇川に砂防ダムを建設していた。 そして二年掛かりで建設し、第一砂防ダムが完成したというのである。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 5 1月 1958 完成間近の久慈職業安定所の庁舎(昭和33年1月5日) 昭和33年1月5日のデーリー東北より。 久慈公共職業安定所の庁舎はすっかり古くなっていたので立て替えることにした。 中旬には移転の予定であるという。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 4 1月 1958 久慈市内各店舗の年始広告(昭和33年1月4日) 昭和33年1月4日のデーリー東北より。 基本的に、デーリー東北の広告は八戸市内の企業や店舗の広告であるが、たまには久慈市内の企業の広告も出るものである。… 続きを読む
c久慈・九戸郡 1 1月 1958 久慈郵便局では学生アルバイトが年賀状配達(昭和33年1月1日) 昭和33年1月4日のデーリー東北より。 久慈郵便局では、元日の年賀状配達のアルバイト21名が集合して、局長に激励され市街地各地で配達をスタートした。 高校生18名、大学生3名であったという。 … 続きを読む
m県外・参考 1 1月 1958 漢詩で新年を寿ぐやたら教養の深い八戸のキャバレー(昭和33年1月1日) 昭和33年1月1日のデーリー東北より。 七言絶句となっているが韻をふんでいるかは不明。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 26 10月 1957 千代田生命一関支部江刺出張所では職員募集!(昭和32年10月26日) 昭和32年10月26日の岩手民声新聞より。 千代田生命一関支部江刺出張所では職員を募集している。 初任給は4千円。 というか、江刺支部って中心部の岩谷堂じゃなくて田原にあったの… … 続きを読む
c久慈・九戸郡 19 10月 1957 九戸地方乳牛共進会(昭和32年10月19日) 昭和32年10月23日のデーリー東北より。 久慈場検場で九戸地方乳牛共進会が開催され、500人の人出と75頭の牛で賑わった。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 17 10月 1957 久慈の秋祭りは大賑わい(昭和32年10月17日) 昭和32年10月19日のデーリー東北より。 久慈市の秋の祭典は、10月17日から三日間行われている。 初日には、豊作の取り入れが終わったばかりの近在から1万5千人では目貫通りはにぎわった。 … 続きを読む
c久慈・九戸郡 17 10月 1957 久慈市の山内市長が北京へ出発(昭和32年10月17日) 昭和32年10月19日のデーリー東北より。 北日本港湾都市市長団の三役として、中共の北京市の招きで10月23日に羽田国際空港から香港経由で旅立つ久慈市の山内市長は、10月17日13時市役所前から市長専用車で市役所前を出発した。 市長は「1ヵ月の間、を留守にしますが、皆さん元気で勤めをお願いします。戦… 続きを読む
c久慈・九戸郡 14 10月 1957 安家村の薪は引っ張りだこ(昭和32年10月14日) 昭和32年10月14日のデーリー東北より。 10月になると冬の支度が盛んになる。 木材や製炭材が安くならず、高い木炭を使うよりは薪ストーブを利用しようと言う例が多くなっていると言う。 相場としては、ナラ材で久慈市内では4000円前後、山形村でも3200円前後、雑木でも2700円と言う強気だったと言う… 続きを読む