6月6日に三波春夫が盛岡体育館に来ますよ!(昭和33年5月18日)

昭和33年5月18日の岩手日報の広告欄より。

三波春夫が盛岡体育館に来るという。

今でこそ盛岡でコンサートがあるといえば岩手県民会館(昭和48年竣工)か、盛岡市アイスアリーナ(平成元年竣工)が相場になっているが、当時は盛岡体育館(昭和32年竣工)だったようである。

この当時、三波春夫がどんな歌手であったか。

Wikipediaによれば、以下の通りであったという。

1957年(昭和32年)6月、芸名を「三波春夫」と改めて歌謡界へデビュー。デビュー盤は「メノコ船頭さん(C-4084)」で、B面は及川ウメ子(後に及川三千代と改名)の「サテ、なんとしよう」だった。第2弾が「チャンチキおけさ/船方さんよ」のカップリングであった(C-4091)。その後デビュー初年度にして半年間でシングル7枚、10曲を発表、いずれも大ヒットとなり一躍人気歌手の仲間入りを果たす。特に「チャンチキおけさ」は、故郷を恋しむ思いに満ちた歌詞が当時、集団就職で都会に出ていた若者の郷愁を誘った。

翌年、1958年(昭和33年)、第9回NHK紅白歌合戦に「雪の渡り鳥」で初出場。

ちなみに、あの有名な「お客様は神様です」の発言は、昭和36年のステージ上での発言であるという。

この言葉が、後年どれだけの接客業の従事者を悩ませたことか・・・

これについては三波春夫自身がオフィシャルサイトで、以下のようにコラムを書いている。

 


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