備考※3a-1

さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日) l全県

さあ、麦の供出だ(昭和20年8月17日)

昭和20年8月17日の岩手日報より。 それまで農家は「教室する麦を空襲で焼いては申し訳ない」と、袋に詰めて山の中に疎開させていた。 しかし、20日の供出期日が切迫していたので、農家は山から下ろしていた。 それまでの供出は、戦争に勝つための供出であったが、戦争が終わってしまったので、勝つための供出では…
終戦、そのとき岩手では(昭和20年8月15日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

終戦、そのとき岩手では(昭和20年8月15日)

8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎える。 その時岩手はどうであったか。 岩手日報からその様子を抜き出してみたい。 盛岡工機部(国鉄盛岡工場)の大詔拝聴 仙台鉄道局盛岡管理部の終戦の勅語拝聴は、15日正午から盛岡駅貨物取扱所で行われた。 岩手日報の書きぶりをそのまま抜き出すと、 この日管内…
新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁 a盛岡・岩手郡・紫波郡

新盆に初穂 声に出して読みたい盛岡弁

終戦の日、つまり昭和20年8月15日の新岩手日報では、盛岡郊外の農家を取材している。 「この初穂、見でくなんせ。お盆に穂が出だら豊作でがす」 終戦の年は暑い夏だったといろいろな所で報告されている。 稲作は豊作の兆しであった。 「わしと同じ様にこの田を耕した祖先や戦死した倅も新盆で家に来てこの出穂をみ…
「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」 d宮古・下閉伊郡

「空襲はありましたが従業員全員無事 東亜鉱工○○精錬所」

昭和20年8月14日新岩手日報には、こんな広告が出ている。 「去ル空襲ニ際シ工場被害軽微…」 広告の主は「東亜鉱工 ○○精錬所」 そもそも東亜鉱工ってどこの会社? と思ったらそれは現在のラサ工業らしい。 ラサ工業といえば宮古か。 軍需工場は機密上、どこそこにあるということを新聞などで言うことはできな…
盛岡・国劇で市川團十郎・市川鶴之助一座が特別興行!(昭和20年8月12日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡・国劇で市川團十郎・市川鶴之助一座が特別興行!(昭和20年8月12日)

昭和20年8月10日の岩手日報より。 盛岡の国劇(のちの国民映画劇場と同じ場所?)で、市川團十郎と市川鶴之助一座の歌舞伎興行を行うという。 あちこちで空襲がある中、一般市民も歌舞伎興行を開催し、それを見に行く余裕があったのかどうかは分からないが、このような記録はあるということで。   &n…
扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(昭和20年8月10日) e釜石・遠野・上閉伊郡

扶桑第六〇一工場(場所不明)「お願いだから戻ってきて!逃げ出したことはもう何も言わないから!」(昭和20年8月10日)

昭和20年8月10日の新岩手日報の広告欄より。 「扶桑第六〇一工場」というところが従業員に呼びかけている。 どこの工場なのかはこの広告からは読み取れない。 現代語訳するとこんな感じだろうか。 離職したみんな、私たちは工場復旧と生産に奮闘している。 すぐに復帰してほしい。 今日勤務したかしないかは、明…
今週の映画は「最後の帰郷」(大映)、「愛と誓ひ」(東宝)(昭和20年8月10日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

今週の映画は「最後の帰郷」(大映)、「愛と誓ひ」(東宝)(昭和20年8月10日)

昭和20年8月10日の岩手日報より。 この時期になると映画配給はどこの映画会社で製作するにかかわらず「紅系」「白系」に分けて行われるようになったようである。 この記事を書いている令和3年年末の時点で、どちらがどっちかは判然としていないが。とにかく2本ずつの映画配給ということには変わりなかったようであ…
昆布増産の最前線は学童たち(昭和20年7月2日) e釜石・遠野・上閉伊郡

昆布増産の最前線は学童たち(昭和20年7月2日)

昭和20年7月2日の岩手日報より。 当時、大槌湾は「養殖昆布の先進地」であると認識されていたようである。 その大槌湾では子供たちが小舟が沈みかけるほど大量に昆布を収穫していたという。 大槌漁協割り当ては5,957貫であったが、6月30日の時点でそれを達成し、これまで使わなかった穴布(あなめ)まで採取…
釜石鉱山では鶴嘴片手に無休の正月 e釜石・遠野・上閉伊郡

釜石鉱山では鶴嘴片手に無休の正月

〽️海の男の艦隊勤務 月月火水木金金 休みなく働くことを称揚した軍歌「月月火水木金金」は、本来は戦争の激化により休みがなくなっていく海軍の状況を自嘲的に「これじゃ月月火水木金金だよ」と誰かがこぼしたのを真に受けて作詞されたものであると言われている。 昭和20年の釜石鉱山の正月は、その「月月火水木金金…
防寒着や飛行服のためにヌートリアを飼育しましょう!(昭和19年12月1日) l全県

防寒着や飛行服のためにヌートリアを飼育しましょう!(昭和19年12月1日)

昭和19年12月1日の新岩手日報より。 広告欄には飛行服のためにヌートリアの飼育を奨励する広告。 ヌートリアは良質の毛皮になるので、飛行服や防寒着用に飼育を奨励されていた。 しかし、平成以降は「特定外来種」として農作物を食害する害獣として忌避されることになる。 人間の罪深きことよ・・・  …
盛岡市内映画案内(昭和19年8月3日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市内映画案内(昭和19年8月3日)

昭和19年8月3日の岩手日報より。 盛岡市内の映画情報として7館の上映情報が載っている。 また、前後にはない映画館として「長町日活館」「生姜町日活館」がある。 長町とは材木町から上田に向かう途中のあたり、生姜町とはホットライン肴町の真ん中あたりから八幡宮へ向かうあたり。…
目指せ海軍少年兵!仁王国民学校では猛訓練(昭和19年8月1日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

目指せ海軍少年兵!仁王国民学校では猛訓練(昭和19年8月1日)

昭和19年8月1日の岩手日報より。 8月下旬に行われる海軍少年兵の採用試験に向け、盛岡市内の高等科のある小学校では猛訓練が繰り広げられていた。 仁王国民学校では4月から下準備を開始し、7月中旬からは学科の終了後に訓練を行うようになっていた。 盛岡国民学校でも、8月1日~3日、8月8日~11日を海軍少…
盛岡国民学校から予科練に入った5名が母校を訪れる(昭和19年7月31日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡国民学校から予科練に入った5名が母校を訪れる(昭和19年7月31日)

昭和19年8月1日の岩手日報より。 この時期、尋常小学校や高等小学校は「国民学校」に名を変えており、下の橋のたもとにある盛岡高等小学校は昭和15年に「盛岡国民学校」に名前を変えていた。 この盛岡国民学校を卒業し海軍予科練習生となっていた5名が、7月31日に母校に里帰りしたのだ。 今でいえば「ホームカ…
外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式(昭和18年4月16日)

昭和18年4月17日の新岩手日報より。 外地派遣日赤岩手支部看護婦の壮行式が、4月16日の午前11時15分に日赤岩手支部の行動において行われた。 まずは、外地に旅立つ書紀や婦長を先頭に白衣の天使たちがさっそうと入場した。 そして、岩手県内政部長の訓示などが行われた。 これに先立って、護国神社いや八幡…