いわて昭和史

一関地区の中学校では免許外担当授業の教員が半数以上(昭和33年7月6日) i一関・西磐井郡

一関地区の中学校では免許外担当授業の教員が半数以上(昭和33年7月6日)

昭和33年7月6日の岩手報知より。 岩手県教組西磐井支部では、勤評と定員増の運動資料とするために、中学校の免許外教科の担当状況調査を進めていた。 その状況は、中学校教員の240人中129人が免許外を担当しており、割合が53%に上っていた。 週の時間数はのべ1,142時間で、免許外教科はのべ711科目…
一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日) i一関・西磐井郡

一関・開かずの五十人町踏切を移転へ(昭和33年7月4日)

昭和33年7月4日の岩手報知より。 この当時、東北本線の複線化は着々と実現しており、昭和33年度のうちには前沢〜水沢の複線化が完成する予定であったと言う。 また、この区間は、盛鉄局で初めてと言われるコンクリート枕木を使用することになったのだが、このコンクリート枕木は、技術を要するものであるだけに工事…
一関保健所「犬は繋いでおきましょう!」(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

一関保健所「犬は繋いでおきましょう!」(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関保健所では、飼い犬をつないでおくように注意喚起している。 繁殖期で犬の気が荒くなっているからではないかと見られていた。 犬にかみつかれた人が増加しており、昭和33年に入ってからも郵便配達から子供に至るまで10件を数えているという。 危険な犬はもちろん処分、飼い…
一関保健所「粗悪な氷水のシロップに注意!」(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

一関保健所「粗悪な氷水のシロップに注意!」(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 夏真っ盛りではあるが、一関保健所は氷水のシロップに注意するように注意喚起している。 「普通味付けに使うシロップは、天然の果汁ではなく、着色料・芳香剤・甘味料などを業者が別々に購入して各自が調合している。 ところが着色料には体に害のある不良品が往々にしてあり、このよ…
昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

昭和33年上半期の失業者は減少傾向(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 一関職業安定所によれば、昭和33年6月までの完全失業者は130人で、前の年の同じ期間に比べると25人少ないことが分かった。 失業保険給付状況を見ると、最高が3月の236人、最低が6月の126人で、6か月通しての延べ人数は1157人であったという。 前年同期では3月…
一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日) i一関・西磐井郡

一関市市制施行10周年記念式典(昭和33年7月1日)

昭和33年7月1日の岩手報知より。 昭和23年4月1日に一関町は周辺の山目町・中里村・真滝村を合併し、盛岡・釜石・宮古に次ぐ県内4番目の一関市として市制した。 それから10年が経過し、10周年記念式典を行うこととなった。 そこで、以下のような記念行事を行うこととなった。 物故職員慰霊祭(7月2日、願…
僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日) j東磐井郡

僻地医療に携わる医者は「何かある」医者ばかりだった(昭和33年5月20日)

昭和33年5月20日の岩手日報で報じられたニュース。 東磐井郡室根村の折壁診療所の55歳になる所長が、地位を利用して院内の麻薬を自分に打ち、業務上横領・麻薬取締法違反の疑いで一関区検察庁に書類送検されたという。 昭和30年~32年の間に、注射63本、粉末麻薬65グラムを無断で使用し、それがカルテに残…
「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映 a盛岡・岩手郡・紫波郡

「戦場にかける橋」盛岡国劇で封切上映

昭和33年5月20日の岩手日報では、盛岡国劇で「戦場にかける橋」が封切になる旨の広告が出されている。 「戦場にかける橋」は言うまでもなく1957年英米合作の戦争映画で、収容所長役の斎藤大佐役を演じた早川雪洲はアカデミー助演男優賞にノミネートされている。 日本での初封切は前年1957年の12月22日で…
にたもの親子「メクラでツンボ」(昭和33年5月20日) l全県

にたもの親子「メクラでツンボ」(昭和33年5月20日)

昭和33年5月20日の岩手日報より。 連載されている漫画「にたもの親子」では選挙について扱っている。 5月22日には第28回衆議院議員総選挙が予定されていた時期であった。 乞食のようなボロボロの男も投票所へ行く。 そして問わず語りにいわく「あたしが投票した人は正直でウソを言わぬ人」。 ・・・と思った…
水沢女子高の教諭が関東以北で初めてのオランダミミナグサを発見(昭和33年5月20日) h水沢・江刺・胆沢郡

水沢女子高の教諭が関東以北で初めてのオランダミミナグサを発見(昭和33年5月20日)

昭和33年5月20日の岩手日報より。 植物研究家でもある水沢女子高の教諭が、水沢警察署裏の北常盤踏切で「オランダミミナグサ」を発見したという。 このオランダミミナグサは、本来はヨーロッパにだけ生えている雑草であるところ、戦後は東京や横浜でも存在が確認されていた。 これは、戦後になってヨーロッパとの貿…
第28回衆議院選挙広告:小沢佐重喜(小沢一郎の父)・椎名悦三郎など a盛岡・岩手郡・紫波郡

第28回衆議院選挙広告:小沢佐重喜(小沢一郎の父)・椎名悦三郎など

昭和33年5月20日に岩手日報に掲載佐された選挙広告より。 椎名悦三郎(自):後年まで知れた大物議員。水沢市出身。この選挙の翌年、岸内閣で官房長官となる。その後の池田内閣でも通産大臣や外務大臣を務める。 千葉七郎(社):東磐井郡千厩町出身。この選挙では落選するが、昭和38年の第30回衆議院選挙で当選…
第28回衆議院総選挙:公明選挙をアドバルーンで宣伝 a盛岡・岩手郡・紫波郡

第28回衆議院総選挙:公明選挙をアドバルーンで宣伝

昭和33年5月18日の岩手日報より。 22日に投票日を控え、県選挙管理委員会では公明選挙を訴え、県公会堂の前でアドバルーンを上げることに。 また、記事では棄権を無くすように訴えている。 この頃から「選挙で何も変わりはしない」と斜に構えたニヒリストはいたようである。 また、「20」を「廿」で表記するの…
6月6日に三波春夫が盛岡体育館に来ますよ!(昭和33年5月18日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

6月6日に三波春夫が盛岡体育館に来ますよ!(昭和33年5月18日)

昭和33年5月18日の岩手日報の広告欄より。 三波春夫が盛岡体育館に来るという。 今でこそ盛岡でコンサートがあるといえば岩手県民会館(昭和48年竣工)か、盛岡市アイスアリーナ(平成元年竣工)が相場になっているが、当時は盛岡体育館(昭和32年竣工)だったようである。 この当時、三波春夫がどんな歌手であ…
鈴木善幸の選挙広告 d宮古・下閉伊郡

鈴木善幸の選挙広告

昭和33年5月22日の第28回衆議院選挙に先立ち、5月17日の岩手日報に掲載された鈴木善幸の選挙広告。 当時の選挙区は、氏の出身地である下閉伊郡山田町も含めた岩手県の北半分が岩手1区であった。 鈴木善幸の初当選は、意外なことに昭和23年に社会党からの当選となっているのである。 当時はアイオン台風から…
ナイトスポット「ソシュウ」オープン a盛岡・岩手郡・紫波郡

ナイトスポット「ソシュウ」オープン

昭和33年5月15日の岩手日報に掲載された広告より。 盛岡の菜園に「ソシュウ」というナイトスポットがオープンするという。 ナイトスポットというのは・・・現在(というか後年)でいうグランドキャバレー的なものだろうか。 昭和40年代の岩手日報では「ソシュウに○○という芸能人が来ます!」という広告がよく見…
花巻電鉄に新車導入 f花巻・稗貫郡

花巻電鉄に新車導入

昭和33年4月26日の岩手日報では、「温泉郷結ぶ近代車」として、花巻電鉄に新車が導入されたことを報じている。 岩手日報(昭和33年4月26日)より 新たにお目見えしたのは、日本車両で製造されたのだという。 現在、花巻市材木町公園に保存されている「馬面電車」と違って、さほど幅の狭さは目立たない。 この…
盛岡市立高校が加賀野に移転 a盛岡・岩手郡・紫波郡

盛岡市立高校が加賀野に移転

下小路にあった盛岡市立高校がそれまでの校地を下小路中学校に譲渡し、加賀野に移転することになった。 盛岡市立高校は昭和24年に、盛岡市立女子高校と盛岡市立女子商業高校を合併して発足した女子校であった。 これが共学化するのは、この翌年の昭和34年からである。 共学化を見越した校舎の移転だったのであろう。…
早くもコイノボリ a盛岡・岩手郡・紫波郡

早くもコイノボリ

昭和33年4月24日の岩手日報より。 翌月の「こどもの日」を前に盛岡のKデパートではコイノボリが早くも泳いでいる、というニュース。 記事の原文に「Kデパート」とぼかして書いているのだが、どう見ても川徳デパート。ここで仮名を使う意図がよく分からない。 それはともかく、当時中ノ橋にあった川徳から中津川の…
岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日) a盛岡・岩手郡・紫波郡

岩手トヨペットがトヨエースの広告(昭和33年4月23日)

昭和33年4月23日の岩手日報に掲載された岩手トヨペットの広告欄より。 そもそも、トヨタのトラックの歴史は昭和29年のトヨペット・ライトトラックSKB型に始まる。 当初の価格は625,000円であったという。 これが昭和31年に「トヨエース」という愛称が公募によって付けられ、553,000円となる。…
いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス a盛岡・岩手郡・紫波郡

いすゞ・ヒルマン スーパーデラックス

昭和33年4月22日の岩手日報より。 岩手いすゞによる広告が出されている。 いすゞでもすでに県域の販売会社があり、菜園にあった。 岩手トヨタも菜園で、菜園のあたりは自動車販売会社が集まっていたらしい。   いすゞがバスやトラックではなく、乗用車にも手を出していた時期の最初期のモデルとなる。…