i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 カルシューム、ビタミンB1・B2含有の仙台味噌(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日の広告欄より。 さすがはほぼ宮城県に片足突っ込んでる一関だけあって、広告も仙台味噌である。 それもカルシューム、ビタミンB1・B2を含有しているという。 令和の今なら、混ぜものがある食べ物なんて安物として敬遠されがちだが、戦後すぐはそうでもなかったようだ。 そして電話番… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 ラジオは一関市内の専門店で買いましょう!(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日の広告欄より。 ラジオ屋の広告が2件入っている。 GENERALというのは八欧電機で現在は富士通ゼネラル、マツダというのは東芝のラジオブランド、ナショナルは言わずと知れた松下電器である。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 なつまけも けろりとなおる びっくりのそば(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 広告欄には「なつまけも けろりとなおる びっくりのそば」というコピーが踊っている。 その名も「びっくりや」という一関の蕎麦屋のようであった。 「なつまけ」とは夏バテのことだろうか。 たしかに外的な何かで体に変調を起こすと「まける」という言い方はして… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 一関保健所管内で増える妊娠中絶(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 1月~7月の一関保健所管内での妊娠中絶は、前年の同時期に比べて4割程度多い684名で、優生手術も152名となっていたという。 都市よりも農村の方が多かったという。 年齢別に分けると以下の通り。 20歳未満 ・・・ 4名 25~29才 ・・・ 34名 30~34才… 続きを読む
hスポーツ 8月 25日 1953 三船十段は一関中学(現:一関一高)に在学していたことが判明(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 8月30日に一関小学校で開催される予定の「岩手宮城対県柔道試合」に審判長として来る予定であった三船久蔵十段は一関にいたことがある、ということを一関市柔道会長があきらかにしたという。 いわく、 三船十段は久慈で生まれたが、明治23年に小学校5年生の頃実兄の勤め先で… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 25日 1953 中共からの帰国者のその後(昭和28年8月25日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 興安丸に乗って中国から帰国してきた人々はその後どうなっただろうか。 日本社会に順応しているだろうか。 一関市や西磐井郡では12世帯、27名いたのだという。 その数例を追う記事である。 一関市 42歳男性 昭和19年に三井鉱山本社から満州三井に転任。 引揚後、三井… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 23日 1953 一関・笹谷小学校と狐禅寺小学校に電話架設(昭和28年8月23日) 昭和28年8月25日の岩手日日より。 一関市立笹谷小学校には8月21日、狐禅寺小学校には8月23日に電話が架設された。 電話番号は笹谷小学校は803番、狐禅寺小学校が804番。 これで、一関市内の小中学校で電話が無いのは中里小学校前堀分校だけとなった。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 18日 1953 水沢町営競馬は各県からの遠征馬55頭が申し込み(S28.8.18胆江日日新聞) 水沢競馬は、他の競馬場とのダブりがなかったためか各県からの遠征馬が続々申し込んでいたという。… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 18日 1953 水沢町が市制したら人口46,500人(昭和28年8月18日) 昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 胆沢郡水沢町とその周辺の村々の合併と市制問題につき、8月7日に各町村の代表者により第1回準備員会を開いた。 そして16日には合同会議を開いた。 水沢と合併するのは小山村を除く1町6村であるとみられていた。 該当する町村の人口は以下の通り。 水沢市 18,92… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 16日 1953 一関で七夕まつりが盛大に開催される(昭和28年8月16日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 一関では七夕まつりが盛大に開催された。 飾り付けの総費用がは1千万円にも上ったという。 近隣町村からは 近隣町村からは汽車やバスで5万人の人で賑わったという。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 16日 1953 水沢松竹劇場で「暴力市街」公開!(昭和28年8月16日) 昭和28年8月18日の胆江日日新聞より。 水沢松竹映画劇場では「暴力市街」を8月16日~18日まで上映する。 松竹系の映画館でありながら「暴力市街」は大映映画で、昭和28年6月24日の公開なので、おそらくは盛岡でもそのくらいの封切だったのではないだろうか。 実話に基づいているというが、ガンアクション… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 15日 1953 荷馬車がパンクして車輪が飛びリンゴ売りの女性が死亡(昭和28年8月15日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 一関市大町の石橋ホテル前で、鉄屑を満載した荷馬車が通行していた所突然パンクして車輪がもげてしまった。 そのもげた車輪は勢いよく飛び出し、路上でリンゴ売りをしていた44歳の女性の胸部に当たったからたまらない。 直ちに磐井病院に収容はされたものの、胸部打撲と肋骨骨折… 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 15日 1953 癩病患者が東北新生園を脱走して一関の夏祭り見物(昭和28年8月15日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 8月15日の朝4時頃、一ノ関駅前をうろついていた挙動不審の男がいた。 警察官が職務質問したら、宮城県瀬峰の癩療養所「東北新生園」から脱走してきた50歳の男であるという。 脱走して東磐井郡大原町の子供に会いに行く途中であったという。 この男を一応保護して保健所を通… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 14日 1953 水沢の食料品店「フルーツポンチの缶詰は100円」(昭和28年8月14日) 昭和28年8月14日の胆江日日新聞より。 フルーツポンチの缶詰は100円で、フルーツ蜜豆は80円だと。 … 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 8月 14日 1953 水沢の食料品店「バター半ポンド180円」(昭和28年8月14日) 昭和28年8月14日の胆江日日新聞より。 水沢の食料品店ではバターが半ポンドだという。 1ポンドは453グラムなので、半ポンドで230グラム弱。 高いのか安いのかよく分からない。 … 続きを読む
i一関・西磐井郡 8月 13日 1953 一関に田部井大サーカスが来ます(昭和28年8月13日) 昭和28年8月16日の岩手日日より。 田部井大サーカスが一関市営グランドに来るというニュース。 国鉄バス一ノ関営業所や岩手県南バスも後援していた。 … 続きを読む
l全県 5月 18日 1953 昭和28年に岩手県内で売っていた自動車の広告 昭和28年5月18日の読売新聞岩手版に掲載された広告より。 四輪車もさることながら、オート三輪やバイクの広告が目立つ。 日産 ダットサン デラックスセダン ダットサン スリフトセダン 日本内燃機 サンカ― トヨタ トヨペットトラック ホンダ ドリーム号E マツダ CTL(?) エーブ自動車工業 エー… 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 5月 18日 1953 下閉伊郡の漁場ではブリ・マグロの最盛期 昭和28年5月13日の読売新聞岩手版より。 下閉伊郡沿岸の漁場ではブリ・マグロの最盛期となっていた。 重茂村漁協の根滝漁場では30~40貫内外の大マグロが2~3本ずつ漁獲したほか、1貫500匁という大きなブリも水揚げされたという。 … 続きを読む
a盛岡・岩手郡・紫波郡 5月 3日 1953 講和記念に盛岡市長ほか各界からの挨拶(昭和27年5月3日) 昭和27年5月3日の岩手新聞より。 サンフランシスコ講和条約が発効して、日本は名実ともに独立国となった。 それを記念して、盛岡市長・盛岡市議会・盛岡鉄道管理局・青森営林局岩手連絡室・盛岡郵便局・稗貫郡町村会挨拶の名刺広告を出している。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 5日 1953 宮古市は公用車にフォードを購入(昭和28年3月5日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 宮古市では、これまでジープを改装した車を公用車として使っていた。 しかし、戦争用の車だっただけに、乗り心地が悪く、独立した平和国家のお役所やふさわしくないと考えたようで、90万円を叩いて、47年型フォードを1台を買い込んだ。 また、この時期の宮古市は、港湾開… 続きを読む
m県外・参考 3月 4日 1953 海外への客船の便はこれだけあった(昭和28年3月4日) 昭和28年3月4日の読売新聞岩手版の広告欄より。 岩手県内のニュースとは関係なく、横浜や神戸などからの船便の出発情報であるが、かなりの便数が出ていたことがわかる。 まだブラジルへの移民も多い時期で、北米航路のみならずムンバイや南米などといった航路もある。 … 続きを読む
j東磐井郡 3月 4日 1953 やきもちで風呂に漆を入れる復讐(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 3月4日、千厩地区警察署では、薄衣村の農業の54歳の男を逮捕した。 これは、親しくしていた47歳の女性が、同じ村の64歳の農業のところで働いているのを見て、前月の26日に、やきもちからその64歳の男性の家の風呂に漆の皮を入れて、この家の家族5名に3週間のうる… 続きを読む
h水沢・江刺・胆沢郡 3月 4日 1953 江刺郡玉里村で供米感謝演芸会(昭和28年3月4日) 昭和28年3月5日の読売新聞岩手版より。 この当時の食糧管理制度にあっては、米はすべて国が管理していると言う建前だったので、各農村では、割り当て量を全て国に収めることが求められていた。 そしてまた、ヤミに流さず、よくぞ国に収めて下さいましたと何かのインセンティブを与えなければいけなかったのである。 … 続きを読む
d宮古・下閉伊郡 3月 3日 1953 三陸大津波から20周年で真剣な避難訓練(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 昭和8年3月3日の三陸大津波からこの日で20周年を迎えることとなった。 津波の曲波風化しているところが、この前の年の津波訓練が終わって間もない昭和27年3月4日には十勝沖地震があり津波に襲われた。 その痕跡も生々しい状態で、沿岸各地では真剣に津波訓練が行われ… 続きを読む
l全県 3月 3日 1953 ローカルラジオ番組案内(昭和28年3月3日) 昭和28年3月3日の読売新聞岩手版より。 岩手版の隅では、ラジオ番組の案内を掲示している。 ところが、岩手版であるにもかかわらず、JOIR(仙台放送局)の番組がメインになっており、JOQG(盛岡放送局)の番組はほとんどないに等しい。… 続きを読む
b二戸・二戸郡 3月 2日 1953 小鳥谷村は製炭業が枯渇寸前なので漆で村おこし(昭和28年3月2日) 昭和28年3月2日の読売新聞岩手版より。 二戸郡小鳥谷村平糠では部落のほぼすべてが製炭業に従事していたが、戦中~戦後に乱伐したことにより、ほぼ切れる木が無くなっていた。 そこで、元手がかからず収入の高いウルシの木を植えることで窮地を挽回しようと躍起になっている。 二戸郡では浄法寺もウルシの産地である… 続きを読む