江刺郡伊手村の爆殺事件(S2.4.10)
昭和2年4月10日、岩手県江刺郡伊手村上浅倉(現在の奥州市江刺伊手字上浅倉)で、農夫がダイナマイトの爆発により右足を損傷し、破傷風を併発して死亡しました。この事件は、被害者(当時35歳)の義兄(当時44歳)が家庭内の冷遇や不和から殺意を抱き、計画的にダイナマイトを仕掛けた結果発生したものです。
義兄は被害者の姉と結婚して婿養子として家に入りましたが、被害者が家督を継いで以降、家庭内で冷遇されるようになりました。被害者からは「働かずに家の負担になっている」「子どもばかり増やしている」と厳しい非難を日常的に浴びせられていました。特に、昭和2年3月末に義兄が落馬で負傷し寝込んでいた際、「稼ぎもせず寝てばかりいる」と激しく叱責され、この言葉が殺害を決意する引き金となりました。
4月10日、義兄は裏山の山道にダイナマイトを仕掛け、被害者が通った際に爆発するよう装置を設置しました。被害者は装置を踏んで爆発が起こり、重傷を負いましたが、江刺郡愛宕村(現在の奥州市愛宕地区)にある小幡医院で右足の切断手術を受けました。しかし、破傷風を併発し、10日後に死亡しました。
事件後、岩谷堂警察署(現在の奥州市江刺岩谷堂)の捜査で、義兄の計画的犯行が明らかになり逮捕されました。さらに、ダイナマイトを提供した義兄の甥(当時34歳)が、この事件を材料に義兄を脅迫し、自らの借金を解消しようとしたことも判明しました。甥は大正11年以降、株式会社三陸銀行(水沢町に所在、現在の岩手銀行の前身)や合資会社千徳商店(現在の所在地は不明)から複数回にわたり借金をしていましたが、返済不能に陥り、この事件を利用して義兄を脅して借金の肩代わりをさせようとしました。
裁判は、盛岡地方裁判所一関支部(現在の一関市)で行われ、義兄には懲役15年、甥には罰金30円および懲役10月の判決が下されました。甥は判決を不服として宮城控訴院(現在の仙台高等裁判所の前身)に控訴しましたが、同年9月に棄却されています。