岩手県公会堂で「音楽と舞踊の夕べ」(昭和3年9月1日)
1928年9月1日
2025年7月29日
この日の紙面では、今晩盛岡の岩手県公会堂第一ホールにて開催される「音楽と舞踊の夕べ」の案内が掲載されている。午後7時開演、主催は岩手日報社。
- セロ(チェロ):高勇吉氏
- アルト独唱:齋藤靜子夫人
- バイオリン:高玉枝嬢
- 舞踊:ドイツの舞姫・ヘティー・ウツケル嬢(高氏新夫人)
この時期の岩手県公会堂は、完成したばかりの新名所だった。1927年(昭和2年)6月15日に竣工したネオゴシック様式の大ホールでの催しは、盛岡における西洋音楽・芸術文化の発信拠点としての幕開けを飾るイベントでもあった。
チェロ演奏を務める高勇吉は、明治34年(1901年)東京生まれ。東京音楽学校を大正10年に卒業し、その後2度にわたってドイツに留学。ライプツィヒ音楽学校で世界的チェリスト、ユリウス・クレンゲルに師事した人物である。帰国後は独奏者としてだけでなく、松山長谷夫やジェームズ・ダンとともに「ダスコー三重奏団」の一員としても活躍していた。
西洋音楽の本場で研鑽を積んだ高氏の演奏、そしてドイツから迎えた舞姫ウツケル嬢の舞踏。竣工間もない岩手県公会堂の舞台は、この夜、文字通り「洋楽と舞踊の夕べ」にふさわしい華やぎをもって開かれたに違いない。