「軍馬の里」六原の毛皮商殺し(S4.1.4)
昭和4年1月4日朝、岩手県胆沢郡水沢町(現・奥州市水沢区)に住む毛皮商の男性が、「毛皮を買いに行く」と言い残して相去村(現・北上市相去町)の六原方面(現・胆沢郡金ケ崎町六原)へ向かったまま行方不明となった。彼は出発前、家族に「良い仕入れ先を見つけた」と話し、購入予定の毛皮の種類と枚数を紙に記して示していたが、養父は不安を感じ、外出を止めようとした。しかし、男性は意志を変えずに家を出た。
1月10日になっても男性が帰宅しないため、養父が水沢警察署に捜索願を提出。警察は「強盗目的の事件」または「雪中での凍死」の可能性を考慮し、六原(現・胆沢郡金ケ崎町六原)周辺で大規模な捜索を行った。翌11日、相去村(現・北上市相去町)の元軍馬補充部六原支部付近の畑地で男性の遺体が発見された。遺体には頭部や顔面に複数の切創があり、懐中からは財布が奪われていた。現場には目出し帽や風呂敷が散乱しており、遺体の状況から凍死ではなく強盗殺人と断定された。
捜査の結果、男性を誘い出した人物が相去村中大谷地(現・北上市相去町中大谷地)の住民であることが判明。警察がその人物の住居を捜索した際、血液の付着した蓑が発見され、その人物は警察に連行された。捜査当初は犯行を否認していたが、警察の追及により犯行を自供した。彼は家族が火災で住居を失い、負債を抱えていたため、男性を毛皮取引の話で誘い出して殺害し、現金を奪おうと計画したことが明らかになった。従弟も共犯として関与しており、犯行現場では見張り役を務めていた。二人は男性を元軍馬補充部六原支部付近の畑地へ誘導し、背後から鋏を使って襲撃。倒れた男性をさらに何度も斬りつけ、懐中の現金を奪った。
犯行後、男性が家出したように装うため、彼らは養父宛に偽の手紙を送った。その手紙には「日本国中を見物している」と記され、事件を隠蔽しようとしたが、捜査の過程で偽装工作も発覚した。
翌昭和5年1月4日、裁判において主犯に死刑、共犯に無期懲役、関連する文書偽造を行った兄弟の別の人物に懲役6か月(執行猶予付き)の判決が言い渡された。しかし、その後の控訴審で主犯の刑は無期懲役に減刑され、共犯者も懲役15年に減刑された。この事件は、生活苦と負債が動機となった計画的な強盗殺人事件として地域社会に大きな衝撃を与えた。