苦学の夢に敗れ貨物列車に飛び乗って帰郷(S4.9.5岩手日報)

昭和4年9月4日の明け方、黒沢尻駅(現在の北上市)に到着した盛岡行きの貨物列車に、場違いな姿の若者が一人混じっていました。これに気づいた駅員は不審に思い、青年を派出所に引き渡しました。

調べてみると、この青年は沿岸・田老村(現在の宮古市田老地区)出身の18歳。東京へ出て苦学しようと志して上京したものの、現実は厳しく、理想通りの進学や就職の道は拓かれませんでした。帰郷したくとも旅費も無く、やむなく徒歩での帰省を決意。なんと宮城県の石越(栗原市)まで徒歩でたどり着いたというのです。

しかし、そこから先は飢えと疲労に勝てず、平泉駅から貨物列車に便乗して花巻方面を目指していたとのこと。あまりの健気さに、取調べに当たった警察官も同情し、多少の旅費を支給して帰郷させることにしたそうです。

この青年が目指した帰郷の道のりを、当時の交通事情に即して補足すると、北上から田老までは以下のようなルートが想定されます。
• 花巻駅から岩手軽便鉄道(現・釜石線)で仙人峠方面へ向かい、
• 仙人峠を徒歩で越えて釜石へ、
• 釜石からは釜石鉱山鉄道などを乗り継いで、
• 最後は馬車か徒歩で田老へ帰るという、険しい旅だったと考えられます。

若者の挫折と帰郷、そしてそれを支えた一握りの善意――昭和初期の時代背景がにじみ出る一幕でした。


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