盛岡市議一行が米内川の水源地を視察(S6.9.2岩手日報)

昭和6年9月2日の岩手日報によれば、盛岡市では市内に水道を敷設する計画を進めており、その水源地として米内川が候補に挙がっていた。

この日、盛岡市議会の一行は上米内駅で下車し、川沿いを歩きながら現地調査を実施。写真には、白いスーツや帽子を身につけた市議らが河原に立ち並び、水量や周辺の地形を確認している様子が写っている。

また、中村市長は米内小学校に立ち寄り、児童たちに対して「米内川の水を汚さぬように」と訓示を行ったという。

当時の盛岡は近代的な上下水道の整備が遅れており、安全な水の確保は重要な課題だった。こうした現地踏査や地域への啓発活動を重ね、水道計画が具体化していったのである。

 


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です