凶作地で身売りをする前に愛国婦人会が100円貸して更正させます(S7.1.25岩手日報)
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【歴史の断片】娘の身売りを食い止めろ――昭和7年、凶作の岩手に差し伸べられた「救いの手」
先日、非常に重みのある歴史資料を目にする機会がありました。昭和7年(1932年)1月26日付の「岩手日報」の記事です。

そこには、現代の私たちには想像もつかないほど過酷な、当時の東北地方の現実が刻まれていました。今回はその内容を紐解いてみたいと思います。
■ 「身を売る娘」を救うための100円
記事の大きな見出しには、こうあります。
「身を売る凶作地の娘に 明るい救いの手」
「愛婦(愛国婦人会)支部から百圓を貸与し 引取って保護する」
当時、世界恐慌と記録的な冷害による「昭和東北大凶作」が農村を直撃していました。生活に困窮した家庭では、娘を酌婦や娼妓として売らざるを得ない悲劇が多発しており、そこに関東などから悪質な人買いが付け込んでいたのです。
これを見かねた愛国婦人会岩手支部が立ち上げたのが、この記事にある「救いの愛婦貸与規程」でした。
【支援策の主な内容】
- 100円の貸し付け: 娘を持つ困窮家庭に対し、1人につき100円を貸与する。
- 身売りの阻止: 前借り金目当ての身売りを未然に防ぎ、娘の身柄を支部で引き取る。
- まともな就職の斡旋: 女中など、健全な職業に就かせ、その給料から月賦で返済してもらう。
昭和7年当時、サラリーマンの初任給が50円〜70円、かけそば1杯が7銭という時代でした。
現在の価値に換算すると、およそ20万〜30万円以上に相当します。
人買いが提示する「前借り金」をこの100円で肩代わりすることで、娘たちが過酷な環境へ売られていくのを文字通り「食い止めていた」のです。
■ 「愛国婦人会」と「国防婦人会」の違い
ここで少し歴史の補足を。「婦人会」と聞くと、あの白い割烹着姿のイメージを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
しかし、実は戦時期の主要な婦人団体には大きな違いがありました。
| 団体名 | 愛国婦人会(愛婦) | 大日本国防婦人会(国婦) |
|---|---|---|
| 主な層 | 歴史ある「上流・名士」層 | 庶民派の「割烹着」層 |
| 活動の特色 | 社会福祉・資金による援護 | 出征見送り・奉仕活動 |
今回の記事にあるのは、歴史が古く財政基盤もあった愛国婦人会です。彼女たちは地方の名士の妻たちが中心だったため、このような大規模な貸付制度という、民間主導のセーフティネットを構築することができたのです。
■ 記事を読んで思うこと
「借金を娘の給料から返す」という仕組みは、今の基準で見れば厳しいものに感じるかもしれません。しかし、当時はそのまま売られてしまえば、一生を台無しにするような過酷な環境が待っていました。
人買いの魔の手から娘たちを守ろうとしたこの「100円」は、当時の岩手の人々にとって、文字通り暗闇の中に差し込んだ一筋の光だったに違いありません。
古新聞の片隅に記されたこの記事は、私たちが生きる今の平和な時代の有り難さと、当時の人々が必死に命と尊厳を守ろうとした足跡を、静かに物語っています。
