五・一五事件を伝える号外(S7.5.17岩手日報)
1932年5月17日
2026年3月8日
【歴史の断片】昭和7年5月16日、号外が伝えた「五・一五事件」の衝撃

日付は昭和7年(1932年)5月16日。発行は岩手日報(号外)です。
そこに記されていたのは、日本の近代史を大きく変えてしまった衝撃の政変、「五・一五事件」の詳報でした。
帝都騒然。大臣官邸、警視庁への襲撃
色あせた紙面から飛び込んでくるのは、当時の緊迫感をそのまま伝える激しい見出しの数々です。
- 「大臣官邸、警視庁、政友会本部に手榴弾を投げ、ピストルを乱射」
- 「陸海軍将校が一団となって襲撃」
- 「帝都俄然(がぜん)混乱す」
前日の5月15日、武装した海軍の青年将校らを中心とするグループが、内閣総理大臣官邸などを襲撃。時の首相、犬養毅が暗殺されました。この号外は、事件から一夜明けた岩手の地で、当時の人々が手にした興奮と恐怖の記録そのものです。
「話せばわかる」の裏側で
紙面中央には、襲撃を受けた犬養首相の肖像写真と共に、「犬養首相絶命」という痛ましい見出しが躍っています。
「話せばわかる」という犬養首相の最期の言葉は、後の記録で広く知られるようになりますが、この号外が発行された時点では、現場がいかに凄惨で、情報が錯綜していたかが伺えます。
また、注目すべきは襲撃の範囲の広さです。官邸だけでなく、警視庁、三菱銀行、さらには変電所までもが標的となっていたことが報じられています。これがいかに組織的で、国家機能を麻痺させようとした計画的なテロであったかが分かります。
資料としての価値
紙面の隅々には「憲兵出動」「各所に非常線を張り」「自首」といった文字が並びます。岩手の地方紙である岩手日報がこれだけの分量を割いて号外を出したという事実に、当時の日本全体が揺れ動いていた様子が反映されています。
この事件を境に、日本は政党政治の時代が終焉を迎え、軍部の発言力が急速に強まっていく「激動の時代」へと足を踏み入れることになります。
