各地の不況匡救事業(S7.11.1岩手日報)
1932年11月1日
2026年1月1日
昭和7年11月1日の岩手日報を開くと、厳しい不況の中にあった当時の岩手が、地域産業や公共事業によって懸命に活路を見出そうとしていた姿が浮かび上がってきます。
この日の紙面で目を引くのは、東磐井地方における兎毛皮(うさぎけがわ)の買い上げに関する活況です。陸軍被服廠への供給を目的としたもので、この年、郡内では実に40万枚にのぼる膨大な毛皮の買い上げが見込まれていました。郡農会が窓口となり、一度に1万5千枚もの取りまとめが行われるなど、地域は大きな活気に包まれていたようです。不況下の農村救済という意味合いから、できるだけ高値で買い上げる方針が取られており、農家にとっては非常に貴重な臨時収入となりました。これによって各家庭の懐が潤い、地方経済が潤沢に動き出した様子が、記事の行間からも伝わってきます。
また、県北の久慈町においては、時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)として道路や橋の改修が急ピッチで進められていました。時局匡救事業とは、昭和恐慌の影響で困窮した農山漁村を救うため、政府が予算を投じて公共事業を創出した失業対策です。久慈の市街地周辺では、この事業によって道路の拡幅や橋の架け替えが行われ、それまでの馬車中心の交通から、自動車の通行が可能な近代的なインフラへと生まれ変わろうとしていました。
さらに宮守村でも、村道の改修工事が本格化していました。工事の入札が進み、地域の土木事業が動くことで、地元に雇用と活気がもたらされていました。
40万枚の兎毛皮という驚くべき数字や、困窮を救うための「匡救」という言葉。この古い新聞記事は、当時の岩手の人々が厳しい時代を生き抜くために、ウサギの飼育や道路建設という日々の労働に希望を託していた、切実で力強い歩みを私たちに教えてくれます。