雫石川改修は進み沢田橋も着工(S9.9.2岩手日報)

昭和9年9月2日の岩手日報に掲載されたこの記事は、当時の盛岡で進められていた雫石川改修工事の壮大さを物語る貴重な記録です。記事には澤田橋の橋脚が完成したことが誇らしげに記されていますが、現在の盛岡市民にとって馴染み深いのは簗川に架かる沢田橋の方かもしれません。実は、このニュースに登場する澤田橋こそが、現在の太田橋の前身にあたります。

当時の雫石川は現在よりも激しく蛇行しており、ひとたび大雨が降れば周辺の田畑に甚大な被害をもたらす暴れ川でした。これを解決するために昭和7年から始まったのが雫石川改修工事であり、川の形そのものを造り変える国家規模のプロジェクトでした。その一環として、三ツ家の対岸にあった太田村、本宮、厨川といった地域を繋ぐために架けられたのが、この記事の主役である澤田橋です。

この橋に澤田の名が付いていた理由は、江戸時代からこの付近に存在した沢田の渡しという渡し舟に由来しています。明治時代に初めて木橋が架けられた際もその名が引き継がれましたが、昭和10年前後に近代的な橋へと生まれ変わる過程で、太田村へ通じるという役割から次第に太田橋という呼び名が定着していきました。そのため、かつての名称を知る人は少なくなってしまいましたが、新聞には延べ12万人以上の労働者が関わったという熱気あふれる建設の様子が刻まれています。

一方で、現在も東中野の簗川に同名の沢田橋が存在しているため混乱を招きがちですが、こちらは近隣にあった沢田浄水場や旧地名に由来する別の歴史を持つ橋です。同じ盛岡市内に二つの大きな沢田橋が存在していた時期があったというのは、川と共に歩んできた街の変遷を感じさせる非常に興味深い事実です。かつて三ツ家からすぐ渡れる場所にあった澤田橋は、今では太田橋という名で私たちの生活を支え続けています。


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