岩手医専・岩手病院で防空演習(S16.2.5新岩手日報)
昭和16年2月という時期は、その年の12月に控えた太平洋戦争の開戦から遡ることわずか10ヶ月前という非常に緊迫したタイミングでした。当時の日本は前年に日独伊三国同盟を結び、アメリカとの対立が抜き差しならない状況にありましたが、その一方で駐米大使が交渉のために現地へ到着するなど、外交による破局回避を模索する最後の局面でもありました。しかし国内に目を向ければ、治安維持法の改正や教育制度の刷新が進み、社会全体が戦争という避けられない未来に向けて急速に作り変えられていた時期でもあります。

そのような社会情勢のなか、昭和16年2月4日、当時の岩手医専(現在の岩手医科大学)と岩手病院(現在の岩手医科大学附属病院)が行った防空演習は、単なる形式的な訓練ではありませんでした。新岩手日報の記事によれば、午後2時半から開始されたその演習は、岩手病院が実際に空爆を受けたという極めて具体的な想定で進められています。三田村校長の指揮のもと、医学を学ぶ1年生から4年生までの約180名が動員され、校庭の防空壕や病院内へと負傷者を搬送する訓練が実戦さながらに繰り返されました。
記事に添えられた朝倉大佐の言葉からは、当時の厳しい空気が読み取れます。訓練の習熟度がまだ足りないことを厳しく指摘し、医学生だけでなく看護婦学校の生徒も全員が実戦で役立つまで何度でも繰り返す必要があると説いています。これは、現在の岩手医大・岩手医大附属病院の前身となった機関において、当時の指導層が本土への空襲を現実の脅威として捉え、若き医療の卵たちを即戦力として期待していたことの現れといえるでしょう。
こうした背景を知った上で改めて記事を読み返すと、冬の冷たい空気のなかで担架を運び、必死に救護活動に励んでいた若者たちの姿がより鮮明に浮かび上がってきます。それは開戦前夜の岩手において、人々が明日への不安を抱えながらも、目の前の「有事」への備えに心血を注いでいた歴史の一幕を象徴しています。
