水害復旧にソバを植えよう!(S16.7.28新岩手日報)

【昭和の記憶】水害からの復旧と「そば」の植付 — 昭和16年、戦時下の岩手を襲った豪雨


昭和16年(1941年)7月28日付の『新岩手日報』。太平洋戦争開戦を数ヶ月後に控えたこの時期、岩手県内は記録的な大雨による水害に見舞われていました。

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当時の紙面からは、物資不足という逆境の中で、何としても食糧を確保しようとする先人たちの執念が伝わってきます。

1. 甚大な被害状況:冠水した3,500町歩の田畑

記事によると、被害の規模は凄まじいものでした。

  • 畑の被害: 約2,000町歩
  • 冠水した水田: 約3,500町歩
  • 流失・埋没した水田: 600余町歩

特に主食である米へのダメージは深刻でしたが、当時の当局は「完全な被害ではない」として、即座に「緊急対策」を打ち出します。

2. 復興の切り札は「そば」と「菜種」

水害緊急対策協議会で決定された方針の目玉は、「畠地の復活に重点を置く」こと、そして成長の早い代用食の植え付けでした。

「五割以上の被害地には代用食としてソバを八割、その他は菜種を蒔きつける」

そばは短期間で収穫できるため、飢えを凌ぐための文字通りの「救世主」として期待されたのです。銃後の食糧を確保するため、一刻の猶予も許されない状況が紙面から読み取れます。

3. 戦時下の色濃い影:物資統制と国際情勢

水害対策の記事の傍らには、当時の社会情勢を物語るトピックが並んでいます。

物資統制 「ゴム修繕組合員」の資格証明や、衣類等の手持品調査に関する記述。あらゆる物資が貴重だった時代が伺えます。
国際情勢 「イランの登場」という見出しで、イギリスやソ連(英ソ)による圧迫を報じています。

まとめ

今回ご紹介した昭和16年の記事は、自然災害と戦争という二重の困難に立ち向かった岩手の記録です。
私たちが普段何気なく食べている「そば」が、当時は命を繋ぐための「戦略物資」であったという事実は、現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。

— 郷土の歴史を次世代へ。


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