県を挙げての米の供出作戦(S21.7.24新岩手日報)
1946年7月24日
2026年2月10日
昭和21年7月24日の新岩手日報によれば、その前日にあたる7月23日、地方事務所長会議を終えた春彦一知事は、各事務所長を再度集めて米の供出状況に関する訓示を行いました。
この席で知事は、県全体の目標として3万石を掲げ、これを達成するために農民組合や警防署員を動員して各農家へ供出をお願いして回るよう指示しています。もしそれでも応じない場合には、強制的に米を徴収する強権発動も検討せざるを得ないという厳しい姿勢を示しました。
当時の供出状況は極めて深刻で、特に稗貫郡では6月1日から7月20日までの約50日間でわずか11石2斗しか集まっていませんでした。知事は、釜石や宮古といった沿岸部の人たちに送る米がこれでは足りず、行政として顔向けができないと強い焦燥感をあらわにしています。
その他の地域についても具体的な数字が挙がっており、紫波郡では割り当て6,000石に対して8月末までに3,000石を確保することを目指し、西磐井郡では割り当て3,000石を8月末までに完遂したいとの見通しが語られました。
これらの記録からは、内陸から沿岸へ米を届けるという行政責任を果たすために、知事が現場の所長たちを叱咤激励し、手段を選ばず米を集めようとしていた緊迫した当時の様子が伺えます。
