県議会で国分知事の冒頭演説(S24.3.1岩手新報)

【プレイバック岩手】昭和24年、国分知事が断行した「51億予算」——前年比3倍超、水害復旧に懸けた執念

皆さん、こんにちは。今日は戦後岩手の復興史を物語る、衝撃的な数字が並んだ新聞紙面をご紹介します。

今から70年以上前、昭和24年(1949年)3月1日付の『岩手新報』。そこには、相次ぐ大規模水害に見舞われた岩手県を立て直そうとする、当時の国分謙吉知事による決死の施政方針が刻まれていました。


■ 前年度から激増した「51億円」予算の衝撃

紙面中央に躍る見出しは、「乗り切るか五十一億予算」。驚くべきはその伸び率です。前年度と比較すると、当時の岩手が置かれた緊迫した状況が見えてきます。

  • ・昭和23年度予算: 15億8,240万円
  • ・昭和24年度予算: 51億円(予定)

前年度の約3.2倍という、現在の感覚では想像もつかないような超大型予算。物価高騰(インフレ)の影響もありましたが、それ以上に「岩手をこのまま沈ませない」という不退転の決意がこの数字に現れています。

■ 予算の半分以上、29億円を「水害復旧」に投入

51億円という巨額予算の内訳は、当時の岩手が直面していた過酷な現実を浮き彫りにしています。

項目 金額
水害復旧費 29億円
一般経費 21億円
合計(昭和24年度予算案) 51億円

なんと、予算全体の半分以上が水害からの復旧事業に充てられていました。昭和22年のカスリン台風、23年のアイオン台風によって壊滅的な打撃を受けた岩手にとって、これは単なる公共事業ではなく、県民の「生き残りをかけた戦い」そのものでした。

「冗費を省き、年来の施策を具現化する」

国分知事は演説でそう断言し、水害復旧を最優先に据えた「新生岩手」のビジョンを議会に問いました。

■ 困難な時代を切り拓いたリーダーシップ

写真に写る国分知事は、手元の原稿を厳かに見つめています。物資も資金も圧倒的に不足していた時代。前年の3倍を超える予算をまとめ上げ、未曾有の国難ならぬ「県難」に立ち向かう姿からは、強固な使命感が伝わってきます。


【編集後記:数字が語る復旧の重み】

「29億円」という数字。それは、当時の岩手の人々が泥まみれになりながら、故郷を再生させるために積み上げた希望の重みそのものです。今の岩手の風景があるのは、この時の「51億の決断」があったからこそ。黄ばんだ紙面が、私たちに大切な歴史を語りかけています。

出典:岩手新報 昭和24年3月1日付

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