盛岡市内各校は卒業シーズン(S25.2.20新岩手日報)
昭和25年(1950年)2月20日付の新岩手日報には、盛岡市内の学校に卒業シーズンが訪れた様子が、写真入りで紹介されている。

戦後間もない時代、まだ物資も十分とは言えない頃だが、紙面からは学び舎に満ちる若い息吹と、新たな門出を迎える高揚感が伝わってくる。
白百合高校 ― 卒業の歌を胸に
写真右上に写るのは、卒業の歌の練習に余念のない白百合高校の生徒たちである。記事では「白百合高校」と表記されているが、現在の盛岡白百合学園を指すものだろう。整然と並び、真剣な表情で歌に向き合う姿からは、式典を大切にしようとする当時の校風が感じられる。
盛岡高校 ― 黒板いっぱいの寄せ書き
写真左上は、卒業パーティーの準備に励む盛岡高校の一場面。黒板にはびっしりと寄せ書きが書き込まれている。盛岡高校は、旧制盛岡中学・盛岡高等女学校・盛岡商業が合併して発足した学校で、この写真に写るのは女子生徒のみであることから、旧制盛岡高女の流れを汲む校舎、いわゆる「白梅校舎」だった可能性が高い。後に盛岡二高として独立していくことを思うと、これは一つの過渡期の記録でもある。
下ノ橋中学 ― 男女仲良くアルバム編集
写真右下では、下ノ橋中学(原文ママ。下橋中学校)の生徒たちが、男女仲良く卒業アルバムを編集している様子が写されている。机を囲み、写真や原稿を手に相談し合う姿は、戦後の新制中学校らしい自由で明るい雰囲気を感じさせる。共同作業を通じて、学年の思い出を形に残そうとする姿が微笑ましい。
盛岡市立高校 ― 恩師を囲む俳句会
写真左下は、盛岡市立高校の卒業風景。恩師を囲んで俳句会を開いているという、いかにも文化的な一場面である。別れの言葉を五・七・五に託し、師への感謝や仲間との思い出を詠む。騒がしさよりも静かな余韻を大切にする、当時の高校生の成熟した一面が垣間見える。
卒業という節目
「卒業・お別れの曲」という見出しが象徴するように、これらの写真はいずれも別れと旅立ちの瞬間を切り取っている。戦後復興期の盛岡で、若者たちはそれぞれの学校、それぞれの形で学び舎に別れを告げ、新しい人生へと歩み出していった。その何気ない日常の一コマこそが、今となっては貴重な昭和史の証言なのである。