久慈に砂鉄鉄瓶工場(S32.11.17デーリー東北)
昭和32年11月17日付のデーリー東北の紙面には、当時の久慈地方における地場産業の活気と、人々の期待が熱烈に記されています。

砂鉄鉄瓶を主力とする久慈市新町の山王堂、すなわち久慈新町株式会社が新工場を完成させたというニュースは、まさに当時の地方経済の明るい希望でした。久慈地方特有の砂鉄を原料とし、五郎正宗の名で親しまれる本格的な砂鉄鉄瓶の商品化は、新工場の落成によって大きな一歩を踏み出しました。その反響は凄まじく、新工場の完成前から東京や仙台、青森、そして北海道といった各地から注文が殺到し、すでに一千個もの予約注文を抱えるという驚異的な人気を博していたことが分かります。
新工場の規模については、工事費が当時の金額で五十万円、七十五坪の広さを持ち、月産四百個の砂鉄鉄瓶が製造可能な体制が整えられました。この工場では鉄瓶のほかに仏具やスキヤキ鍋などの試作も行われており、それらも多方面から歓迎されていたと記されています。約七十種の砂鉄鉄瓶が次々と生産される様子は、まさに地域の花形産業としての輝きを放っていました。
同じ紙面では、産業の近代化に向けた動きも報じられています。十一月二十三日には八戸商工会議所において、県商工課による八戸鋳物工業の産地診断報告会が開催される予定となっていました。技術指導員や診断員を交えて、生産技術の向上や経営の合理化について意見を交わす場が設けられており、北三陸エリア全体で製造業を盛り上げようとする熱気が感じられます。
また、産業の発展と並行して、地域の文化活動についても触れられています。八戸市立図書館では、八戸市内の各地域を回る巡回文庫の強化が進められていました。今月からは巡回車を強化し、各地域の利用拠点を結んで本を届ける活動を活発化させており、当時の人々の知的好奇心や文化的な生活への渇望を支えていたことが伝わってきます。
昭和32年の晩秋、山王堂が新工場を完成させて全国へその名を轟かせようとしていたこの瞬間は、久慈の街が誇るものづくりの歴史における一つの頂点であったと言えるでしょう。