釜石の衣料品店「平尾昌晃ショーにご招待!」(S36.10.2岩手東海新聞)
1961年10月2日
2025年12月18日
昭和36年10月2日付『岩手東海新聞』の広告欄に、釜石の街が「映画館」と「デパート」と「流行歌」を同じ線で結んでいた時代の空気が、そのまま残っている。

釜石の衣料品デパート「ミカド」が告知しているのは、11月17日に錦館で開催される「平尾昌章とオールスターズ・ワゴン」ショーの招待券だ。発行条件ははっきりしていて、ミカドで3,000円買うごとに招待券を出す――つまり、服を買う理由を“ステージの熱”で後押しする、当時らしい販促である。
ここで重要なのは、平尾昌章が「後年の大作曲家・平尾昌晃」としての顔よりも、昭和36年当時はむしろ“興行の第一線にいる人気者”として地方を回っていた、という点だ。ロカビリー・ブームの中心にいた世代で、ヒット曲も持ち、紅白にも出る。そういうスターが「平尾昌章とオールスターズ・ワゴン」の名義で、映画館のステージに乗り込んでくる。映画を観るための場所だった錦館が、その日は「本物のスターが来る会場」になるわけで、これは街にとって十分に事件だったはずだ。
そして錦館自体も、ただの会場ではない。かつて東北随一とも言われ、のちに「釜石日活」として知られることになる大映画館。映画の看板が街の誇りだった時代、その看板の下でショーが開かれる。地方都市の文化の中心が、スクリーンからステージへと形を変えながら人を集める様子が見える。
ミカドの広告は、店の宣伝であると同時に、釜石の娯楽の地図でもある。買い物があって、映画館があって、そこに「いまの流行」がやって来る。昭和36年の釜石では、デパートは単に商品を売る場所ではなく、“街の楽しみ方”そのものを用意する装置だったのだと思わせる。