水沢市内の田圃から宋銭が大量に出土(S37.4.8胆江日日新聞)

昭和37年4月8日付の胆江日日新聞は、水沢市佐倉河で起きた思いがけない出来事を伝えている。
春の農作業として、水田の底土を低くする作業を進めていたところ、土の中から大量の古銭が見つかったという。

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鍬を入れるたびに現れたのは、銅色にくすんだ古い銭貨だった。発見者は農家の人で、私的に処理することなく、水沢市教育委員会へ通報している。この対応の速さは、当時の農村社会における文化財意識の高さをうかがわせる。

教育委員会を通じて行われた調査の結果、出土した古銭は鎌倉時代に日本で流通していた宋銭、すなわち中国・宋代に鋳造された銅銭である可能性が高いとされた。新聞記事では「支那古銭」と表現されているが、これは当時一般的に用いられていた呼称であり、現在の用語では「中国古銭」あるいは「宋銭」と呼ばれるものである。

鎌倉時代の日本では、国内での銭貨鋳造が十分でなかったため、日宋貿易などを通じて流入した宋銭が、事実上の通貨として広く使われていた。市場での取引や地代の支払い、蓄財の手段として用いられ、ときには地中に埋められたまま回収されず、今日まで残ることも少なくない。

今回の出土地である佐倉河周辺について、新聞はさらに興味深い推測を紹介している。古文書によれば、この一帯にはかつて「金持ちの屋敷」があったとされ、今回の宋銭も、そうした富裕層が蓄えていた財が何らかの事情で埋められたものではないか、という見方である。戦乱や政変、急死などにより、持ち主が取り戻すことなく時が過ぎた可能性も考えられる。

現在の佐倉河は穏やかな水田地帯だが、その足元には、中世の経済活動と人々の営みが静かに眠っていた。昭和37年のこの発見は、胆江地方が鎌倉時代の貨幣経済の流れの中に確かに組み込まれていたことを、土の中から語りかけてくる出来事だった。


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