昭和40年3月2日の岩手東海新聞より。
当時の釜石のシンボルと言えば、釜石製鉄所の5本煙突であったが、その他に、転炉を建設するために駅前にタワーを建設することになったのである。
釜石・大平公民館が近日完成(昭和40年3月1日)
ぼくも、わたしも東殖の学用品!(昭和40年3月3日)
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