県農政部に飼料緊急対策室設置(S49.10.1)
1974年10月1日
2026年2月28日
Contents
【記録】昭和49年「畜産危機」の激震―飼料高騰と肉牛暴落が招いた悲劇―
1. 砂上の楼閣だった「輸入依存」
高度経済成長期、日本の畜産は海外からの安い穀物(配合飼料)に依存することで規模を拡大してきました。しかし、世界的な穀物不作と米国による輸出制限が、その足元を直撃します。
- 飼料価格の暴騰:昭和48年1月にトン当たり3万200円だった価格は、翌年3月には4万800円、9月には6万100円と2倍近くに跳ね上がりました。
- 肉牛相場の暴落:一方で肉の価格は冷え込み、1kgあたり数千円の急落。子牛価格もピーク時の半値近くまで落ち込みました。
「エサ代は上がるが、肉は売れない」。農家は出口のない「逆ザヤ」の地獄へ突き落とされたのです。
2. 現場の惨状と、ある「死」の記録
この経済的打撃は、単なる数字の悪化に留まりませんでした。資料には、岩手県内でも特に深刻だった状況が記されています。
将来を嘱望された若者の命を奪うほど、現場の困窮は極限に達していました。小規模な零細農家は次々と離農を余儀なくされ、県内の飼養頭数は激減の一途をたどりました。
3. 動き出した組織―9.25から10.1へ
この未曾有の危機に対し、ついに組織的な対抗措置が取られます。
■昭和49年9月25日:全国大会の決起
東京にて「畜産緊急対策全国農協長大会」が開催。全国の生産者の怒りと悲鳴が政府へと突きつけられました。価格安定対策や資金繰り支援を求める、背水の陣での訴えでした。
■昭和49年10月1日:岩手県「飼料緊急対策室」設置
全国大会からわずか6日後、岩手県は実働部隊として農政部内に「飼料緊急対策室」を電撃設置しました。特筆すべきはその布陣です。
| 役職 | 氏名 |
|---|---|
| 室長 | 小関佐一(農政部次長) |
農政部のナンバー2である次長をトップに据えたこの組織は、現場の混乱を鎮め、即断即決で対策を実行するための県庁の強い決意の表れでした。
4. 突きつけられた「自給」への反省
対策室の急務は、目先の補助金だけではありませんでした。資料の末尾には、これまでの農政に対する痛烈な自己批判が含まれています。
「最も肝心な飼料の自給足踏みなど基盤を忘れ、その場しのぎの施策が多かった……」
この反省から、稲わらの徹底回収や未利用地の活用といった「自給飼料の確保」という、地に足のついた構造改革への模索が始まったのです。
