史上最悪の冷害を激甚災害に指定(S55.11.20)

1980年(昭和55年)の岩手県は、7月以降の異常低温・長雨・日照不足という「気象三悪」に見舞われ、戦後最悪の冷害となった。盛岡では8月の平均気温が平年より4.2度も低く、真夏日はゼロ。宮古では観測史上最低の18.0度を記録した。

県内の農作物被害総額は約682億円に達し、1955年(昭和30年)の冷害(約360億円)を大幅に上回った。特に水稲は壊滅的で、作況指数60の「著しい不良」となり、反収293kgと昭和28年以来の大不作。減収量は約19万トンに及んだ。

被害は県北・沿岸のヤマセ地帯で最も深刻で、久慈二戸・下閉伊などでは減収率90%超の地域もあった。

県は9月に「県冷害対策本部」を設置し、被害調査と救済対策を実施。政府に対し天災融資法や激甚災害法の適用を要請した結果、11月に発動され、148億円の融資が認められた。

また、農業共済金は水稲だけで323億円に達し、共済対象農家の約96%に支給。前年の約21倍、1955年冷害の2倍以上の過去最高額となった。

この年の冷害は、ブロッキング現象によるオホーツク高気圧の張り出しが原因で、盛岡気象台開設(大正12年)以来の異常気象として記録された。


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です