連続する冷害に激甚災害認定(S56.10.16)

昭和56年(1981年)は岩手県にとって、前年の昭和55年に続く戦後最悪級の冷害と、8月22日から23日にかけて縦断した台風15号の直撃により、深刻な農業被害を被った年である。県内の稲作は冷害と台風の双方により「著しい不良」とされ、作況指数は76と全国2位の不作、総収穫量は29万6,600トンにとどまった。特に水稲では出穂直後に台風の暴風で白穂障害が拡大、登熟不良も招き、収量だけでなく品質も大きく低下した。岩手食糧事務所によると、一等米比率は24.1%と戦後最悪を記録し、遠野では0.5%、盛岡・北上・二戸では規格外米が30%台に達した。

異常気象は作物期の4月から10月にかけて顕著で、5月下旬には寒冷高気圧によるヤマセが吹き、山間部では霜害も発生。6月はオホーツク海高気圧の影響で日照時間が極端に少なく、宮古では93.7時間と観測史上最少を記録。7月は一時的に夏型気候となるも長続きせず、8月3日には太平洋高気圧が後退し、22日から23日にかけて台風15号が県を縦断。北上山地で300mm以上の降雨、最大瞬間風速30m超の暴風が襲い、稲作に決定的打撃を与えた。

台風15号の被害総額は702億6,000万円に上り、農作物関係だけで232億円に達した。水稲の他にも夏秋野菜、果樹(主にリンゴ)、葉タバコ、ホップなど広範囲に被害が及び、前年の大冷害と合わせた被害額は三分の二に及ぶ甚大なものとなった。

県は農業共済の早期支払いや天災融資法の適用、前年と重複した被災農家への復旧支援、規格外米の政府売渡要望など多面的な対策を講じ、政府も10月16日に天災融資法・激甚災害法の適用を閣議決定、47億9,000万円の融資が実施された。県農協も低利融資や種子支援を進め、地域農業の再建が図られた。


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