ラグビー新日鉄釜石がV5(S58.1.15)

昭和58年1月15日、東京都新宿区の国立競技場で第20回ラグビー日本選手権大会が開催され、新日鉄釜石が同志社大学を21-8で下し、5年連続6度目の日本一に輝いた。観衆6万人超が詰めかけた会場で、松尾監督兼主将を中心とした新日鉄釜石がその実力を存分に発揮し、社会人ラグビーの頂点を再び勝ち取った。

新日鉄釜石は、過去の八幡製鉄の4連覇を超え、史上初の「V5」を達成した。この快挙は、前年10月8日に島根県出雲市浜山公園で行われた国体秋季大会での好調なスタートに続く成果だった。新日鉄釜石は、この大会で東京三洋に4-0で勝利し、松尾の欠場にもかかわらず力強い戦いぶりを見せた。

昭和58年1月2日から8日まで東京都港区の秩父宮ラグビー場で行われた第35回全国社会人ラグビーフットボール大会では、新日鉄釜石が近鉄、神戸製鋼、東芝府中を順に破り、決勝ではトヨタ自工を相手に完封勝利を収めた。この結果を受けて、日本一を懸けた同志社大学との試合に臨んだ。

決勝では、風上を有利に活用した同志社大学が前半に善戦したものの、新日鉄釜石の松尾が後半に見せた華麗な個人技が勝利の決定打となった。松尾は巧みなステップワークでゴールラインを駆け抜け、観衆を魅了した。若手の成長とベテランの技術が見事に融合した新日鉄釜石のプレーは、多くのファンに深い印象を残した。

新日鉄釜石の強さの背景には、高校出身者を中心に4、5年かけて育成する独自の方針がある。松尾や洞口といった全日本プレーヤーに加え、フッカーの和田の後を継いだ多田、右フランカーの代役を務めた若手の秀仁らの活躍がチームの基盤を支えた。

このV5達成は、新日鉄釜石の地道な努力と粘り強さの結晶であり、日本ラグビー界に新たな黄金時代を築いた象徴である。


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