ロス五輪では本県出身選手6名が活躍(S59.7.28)
昭和59年7月28日から8月12日にかけて開催されたロサンゼルス五輪に、岩手県出身の6選手が出場した。これは過去最多の記録であり、県のスポーツ界のレベル向上を示す象徴的な出来事となった。
女子マラソンの佐々木七恵は昭和58年11月に日本代表第一号として選出された。東京国際女子マラソンでの優勝が決め手となり、日本長距離界の第一人者として期待された。昭和58年には20キロの日本新記録も樹立しており、五輪に向けて順調に調整を重ねた。
馬術の牧野孝喜は山田町出身であるが、県内での競技歴はなく、東京で技術を磨いた。皇居内のパレス乗馬クラブで馬丁として働きながら馬術の腕を上げ、全日本選手権でも上位入賞を重ねた。五輪代表最終選考会では4位だったが、長年の安定した実力が評価された。
レスリングの長内清一は、大野一中からレスリングの名門校である光星学院高に進学。高校時代は目立った成績を残していなかったが、日体大進学後にグレコローマンスタイルに転向し、全日本学生選手権で優勝。社会人になってからも国内の主要大会で活躍し、ワールドカップや世界選手権でも上位入賞を果たした。前回のモスクワ五輪では日本の不参加により幻の代表となったが、今回の最終選考会では圧倒的な強さを見せた。
ボクシングでは、フライ級の瀬川正義とライトウェルター級の三浦国宏が代表に選ばれた。瀬川は高校時代からインターハイ優勝など輝かしい実績を持ち、全日本選手権でも4度の優勝経験がある。最終選考試合でも安定した強さを発揮し、代表の座を確実にした。三浦は高校卒業後、一度競技を離れたが、拓大入学後に復帰し急成長。最終選考試合では有力候補とされた平仲信明を破る快進撃を見せ、代表権を獲得した。
自転車競技の猿舘貢は、ピスト競技の四千メートル団体追い抜きの一員に選ばれた。高校時代から注目され、日大進学後も活躍。最終選考合宿での厳しいタイムレースを勝ち抜き、代表の座を掴んだ。沿岸出身の選手が多い中、内陸から唯一の代表となった。
昭和39年の東京五輪では岩手県出身の選手は4人だったが、今回はそれを上回る6人が出場し、県勢の五輪史上最多となった。