国鉄盛岡工場が廃止(S60.12.1)

昭和60年12月1日、盛岡市盛岡駅前通にあった国鉄盛岡工場が正式に廃止され、94年の歴史に幕を閉じた。昭和59年に廃止計画が発表されて以来、地元自治体や経済界による反対運動が展開されたが、分割・民営化を控えた国鉄当局の合理化方針により実現しなかった。車両検査数の減少や東北新幹線の開業による在来線特急の減便が背景にある。

職員のうち241人が仙台・秋田・郡山の各工場へ配転、262人が盛岡に残留する形となった。跡地は14万㎡に及び、盛岡市では都市開発の重点地区として再開発構想を検討中。用地は「旧国鉄」に所属し、原則として適正な時価で公開入札による売却が予定されており、公共機関への特別扱いは認められていない。

盛岡市は各界代表による跡地利用協議会を設立し、産学官連携の拠点や情報産業の集積地としての開発(コア・シティ構想、新都市拠点整備事業等)を模索している。商工会議所も市や県による一括取得を提言しており、今後の活用方法をめぐって曲折が予想される。


showa
  • showa

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です