【参考】ソウルオリンピック

昭和63年9月17日~10月2日まで、ソウルオリンピックが開催される。

 

やはりこれも岩手県は直接関係ないので(確か県出身選手の誰それを応援するとかいう報道もなかった気がする)、個人的な思い出話で。

そもそも、この時点で「韓国」というのはどういうイメージだったかというと、「発展途上国で物価が安い」「韓国人はみんな日本語を知ってる」というものであった。
なんで韓国人が日本語を知ってるかというと、それは敗戦まで日本が占領していたからである。

また、その時持っていたトランジスタラジオは韓国製だった。
なるほど、韓国は物価の安い国だったのだ。

それでなくてもあの「ハングル」という文字には興味があった。

既に小学校高学年になっており、6年生には職員室掃除というのがあったのだが、休憩スペースにはスポーツ新聞があり「一口韓国語講座」なんてのもあった。

職員室掃除のときは、その韓国語講座を切り取って持ってくるのが常になっていた。

そうやって韓国語を自分で勉強していると、おふくろが「あんた韓国語なんて勉強してると拉致されるよ!」と言ってきた。
金賢姫の大韓航空機爆破事件なんてのもあった頃だ。

庶民レベルのコリア観なんて、その程度のものだった。

交通公社の時刻表には韓国の列車時刻表もいわゆる「日式フォーマット」で掲載されており、「超特急セマウル」「特急ムグンファ」「急行トンイル」と書かれてあった。
この時の「特急」「急行」のイメージは、後年、初めて韓国旅行する時まで引きずっていた。

 

 


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