釜石の市議会選挙を前に(S38.7.1岩手東海新聞)

昭和38年7月1日発行の岩手東海新聞を紐解くと、そこには高度経済成長期の熱気に沸く釜石の生々しい人間模様が記録されています。この記事の主役は、当時の釜石の心臓部とも言える只越から港町にかけての界隈です。紙面を覆うのは市議選を目前に控えた異様な緊張感であり、記者はそれを争奪戦や戦いという言葉で表現しています。

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特筆すべきは、巨大な存在であった釜石製鉄所をめぐる政治ドラマです。記事によれば、勢力側は当初、有力と思われる3人の候補に出馬を打診したものの、結果として3人全員に辞退されるという、いわゆる三振を喫する事態に陥りました。この手痛い誤算が、その後の擁立劇に拍車をかけます。背水の陣となった陣営は、海運課長の高橋健治氏と化工部長の西尾輝郎氏という、現場の要職にある2人を抱き合わせで出馬させるという強硬策に踏み切りました。鉄都と呼ばれたこの街において、製鉄所の幹部が選挙に打って出ることは、単なる個人の立候補を超えた組織の威信をかけた戦いであったことが伺えます。

一方で、商業の中心地である只越町もまた、こうした政治の荒波に無縁ではいられませんでした。商戦に生きる只越の星将という見出しが躍るように、商売人たちは自らの生活圏を守るために政治の動向に鋭い視線を注いでいました。記事は、海岸沿いまで政治の触手が伸びていると形容し、商法の中に政治的な駆け引きが巧妙に隠されているのではないかと鋭く指摘しています。

紙面には当時の街の息遣いも克明に記されており、旭湯を経営する柴田氏の動静や、木皿氏と荒井氏の勢力交代など、具体的な地名や人名が次々と登場します。これらは単なる過去の記録ではなく、かつてこの街で生きていた人々の野心や葛藤、そして地域をより良くしようとしたエネルギーの結晶です。60年前の新聞というタイムカプセルを開くことで、現在の静かな街並みの底に眠る、かつての釜石が持っていた圧倒的な体温を感じ取ることができます。


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