観武ヶ原の騎兵連隊から脱走兵(S3.9.5岩手日報)
1928年9月5日
2025年7月29日
昭和3年9月5日付『岩手日報』は、盛岡市観武ヶ原に駐屯する陸軍騎兵第二十三連隊附属の機関銃隊から、兵卒1名が脱走した事件を報じています。
脱走したのは、秋田県山本郡鹿渡村出身の兵卒で、記事では「狂へる兵卒」と表現されており、精神的に異常な言動があったとみられています。この兵は、当初は遊撃軍属として勤務していたものの、召集によって軍隊に組み込まれていた経歴があるようです。
脱走は9月4日午後11時頃。兵卒は軍装を脱ぎ捨てて姿を消し、ただちに連隊では憲兵および盛岡警察署に協力を要請。深夜にもかかわらず、市内一帯での緊急捜索が展開されました。
その後、日付が変わった5日未明0時15分ごろ、市内某所で該当の兵卒が発見され、無事に身柄を確保。現在は軍および警察により厳重な取調べが続けられています。
当時の盛岡は、観武ヶ原に騎兵第23連隊や陸軍病院、兵器廠などが集中し、東北有数の軍事拠点としての性格を持っていました。そうした“軍都・盛岡”で起きた脱走事件は、軍規の問題としてはもちろん、市民生活にも影響する重大な関心事だったはずです。