釜石製鉄所が合理化へ(S53.2.1)
1978年2月1日
2025年3月29日
昭和53年度、新日本製鐵釜石製鉄所(釜鉄)の合理化計画が正式決定され、釜石市や岩手県を揺るがす事態となった。
昭和50年8月に合理化問題が表面化して以降、釜石市や県は新日鉄本社に合理化回避を要請したが、昭和53年2月1日の現地経営審議会で正式決定された。
その後、昭和53年8月22日には日鉄鉱業釜石鉱業所が「昭和55年3月末で閉山」とする案を提示し、続く同年10月26日には釜鉄が大形工場・ピーリング工場の昭和55年3月末までの休止を含む合理化案を提示した。
釜鉄は合理化対象施設として、大形工場、ピーリング工場(余剰人員440人)、第四コークス炉(昭和59年3月末までに休止)を挙げ、解雇ではなく自然減で対応する方針を表明。市民の3人に1人が釜鉄と関わる釜石市では、大きな経済的打撃が予想された。市の調査では、離職者1,300人超、流出人口最大1万人、年間販売額124億円、所得額128億円の減少が見込まれた。
釜鉄労組は当初、合理化撤回を求めて闘争を継続したが、昭和53年11月末の中央・現地臨時経営審議会以降、会社側の譲歩(第二高炉の改修、南桟橋の延長工事、新規事業誘致協力)を受けて方針転換。昭和53年12月中旬の中央委員会で合理化受け入れを確認し、昭和54年1月の臨時大会で満場一致で闘争終結を決定。昭和54年2月1日の現地経営審議会で正式に合理化実施が決定された。
この一連の合理化闘争により、市民の間では企業や労組への不信感が強まり、統一地方選では企業支援候補が落選する事態も発生した。岩手県は釜石地域の振興策に本格的に取り組む必要に迫られている。