盛岡・雫石河畔の鉄道員殺し(S23.2.19)
1948年2月19日
2025年8月22日
昭和23年2月19日、岩手県盛岡市の雫石川河畔で、頭部に致命傷を負った男性の他殺体が発見されました。死体は全裸で半纏で覆われており、近くには血で汚れた「盛岡工機部」と記された荷車が放置されていました。事件現場から砂乾燥場まで血痕が点々と続いていたことから、殺害現場は盛岡機関区の砂乾燥場であると推定されました。この砂乾燥場は機関車用の砂を乾燥する施設で、被害者が事件当夜勤務していた場所です。
事件当夜、砂乾燥場で被害者と交代勤務に入っていた同僚の証言によれば、大工風の若い男性が施設を訪れ、「寒いので火に当たらせてほしい」と雑談をしながら暖を取っていました。その後、被害者とこの男性が砂乾燥場に残されたのを最後に目撃されています。
現場に残されていた半纏には「工藤」と記された文字があり、これを手がかりに捜査を進めた結果、元鉄道職員の若い男性が容疑者として浮上しました。この男性は事件後に盛岡市内の自宅には戻らず、岩手県繋温泉に身を隠している可能性があると推定されました。捜査員が繋温泉の宿泊施設を調査したところ、もぐり旅館とみられる施設で容疑者が発見され、逮捕されました。
その後の調査で、被害者は鈍器で頭部を殴られたことが致命傷であると判明。また、死体は荷車に載せられ、川辺に遺棄されたと結論付けられました。しかし、容疑者の精神鑑定により、犯行当時は心神喪失状態であったと認定され、殺人については無罪となりました。一方、死体遺棄と窃盗の罪で懲役3年の判決が下されました。この事件は盛岡市内で大きな衝撃を与えましたが、迅速な捜査により一定の解決を見ました。