一本木の轢き逃げ事件(S42.9.15)
昭和42年9月15日、岩手県岩手郡西根町大更に住む農業兼日雇労働者の男性が、盛岡市梨木町にある建設会社で給料を受け取った後、同僚たちと盛岡八幡宮の例祭で酒を振る舞われました。その後、会社の車で帰宅する予定でしたが、途中で滝沢村一本木にある飲食店街で下車し、憩食堂で飲酒を続けました。深夜、飲食店で他の客と口論になり、店を出た後に消息を絶ちました。
9月17日午前、男性の妻が西根町大更の岩手署大更駐在所を訪れ、夫の行方不明を届け出ました。調査の結果、男性は盛岡市内から帰宅する途中で滝沢村一本木にある憩食堂に立ち寄り、タクシー営業所で口論相手を警察に通報しようとしたものの、それ以上の足取りは途絶えていました。警察は憩食堂付近を中心に捜索し、津軽街道沿いの草むらから被害者が履いていたゴム長靴の片方を発見しました。この発見地点から交通事故の可能性が浮上しました。
9月19日、目撃証言から、一本木の自衛隊裏門近くで猛スピードの車が男性をはね、道路脇に停車していたことが判明しました。警察は現場に残された塗膜片や部品を科学鑑定し、事故車両がマツダルーチェであることを特定しました。調査の結果、該当車両が松尾村の住民により事件当日に使用されていたことが明らかになりました。
9月21日、警察は久慈市種市町にある板金工場で事故車両を発見しました。同日、共犯者の供述に基づき捜索隊が動員され、青森県三戸町梅内の国道4号沿いの山林で被害者の遺体を発見しました。調査の結果、被害者は一本木付近で交通事故に遭った後、加害者により車内に数時間放置され、その後死亡。青森県三戸町の山中に遺棄されていたことが判明しました。
事件後、主犯は川崎市内で逮捕され、共犯者も確保されました。供述によると、加害者らは事故後に警察への発覚を恐れ、被害者を救護せず北上して遺棄しました。その後、車両の修理や証拠隠滅を図り、被害者の所持金を盗むなど悪質な行為が明らかになりました。
事件は、岩手県警の迅速な捜査により解決し、加害者らは業務上過失致死、殺人、死体遺棄などで起訴されました。特に交通事故を隠蔽し、人命を軽視した重大な犯罪として社会に大きな衝撃を与えました。