昭和36年度の水沢建設事務所管内の農地改良事業は3.6億円(S37.4.7胆江日日新聞)

昭和37年4月7日付の胆江日日新聞は、建設省水沢建設事務所が昭和36年度の土地改良事業を取りまとめたことを報じている。記事の見出しが強調する通り、この年度は事業費・内容ともに、近年まれに見る規模であった。

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その背景にあったのが、戦後農地改革の結果として生じた農地の細分化である。1戸の農家が小さな田畑を何枚も点在して持つ状態では、農業機械の導入や効率的な水管理が難しく、労力ばかりがかかる。高度経済成長の入り口に立った昭和30年代後半、こうした状況は「このままでは農業が立ち行かなくなる」という強い危機感として共有されていた。

そこで進められたのが、この時期に言う**「農地の集団化」**である。これは土地の所有権をまとめるものではなく、村や地区単位で農地を整理・再編し、使いやすい形に整える事業だった。佐倉河下河原、白山、前沢といった地区では、区画整理によって田畑を広く整形し、畦畔を整理し、用排水路や農道を整備することで、機械化に対応できる農地へと作り替えていった。

これと並行して実施されたのが、国営・岩手駒ヶ岳山麓開拓道路の建設である。山麓部の開拓と交通条件の改善は、農産物の搬出や生活基盤の強化に直結するもので、農地の集団化と一体となった基盤整備だった。

こうした一連の事業に投じられた総額は約3億6千万円。地方における昭和30年代前半の公共事業としては異例の規模で、新聞が「近年稀に見る事業費」と表現したのも頷ける。

この記事が伝えているのは、単なる工事の報告ではない。農地と道路という基盤を整え、胆江地方の農村を“次の時代の農業”へ移行させようとした節目である。昭和36年度の土地改良事業は、戦後から高度成長期へと向かう地域の転換点を象徴する出来事だったと言えるだろう。


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