昭和58年度の稲作は4年ぶりに「平年並」(S58.12.23)

昭和58年12月23日、農水省岩手統計事務所が発表した水稲作況は、県内農家にとってひとまず胸をなで下ろす内容だった。昭和55年以来、三年続いた「著しい不良」から脱し、作況指数99の平年作を確保。四年連続の冷災害は、かろうじて回避された。

とはいえ、その内実は決して一様ではない。6月から7月にかけての記録的な低温が生育に大きな影響を及ぼし、地域ごとの明暗がくっきりと分かれる年でもあった。

冷夏とヤマセがもたらした地域格差

昭和58年の稲作期間の天候は、きわめて特徴的だった。
4月の異常高温に始まり、5月は周期的な気象変動、そして6・7月は連続する異常低温と日照不足。特にオホーツク海高気圧の異常発達によって吹き続けた「ヤマセ」は、県北部や沿岸部に深刻な影響を与えた。

8月前半には一転して高温・多照となり生育は持ち直したが、北部や沿岸では回復が追いつかず、作柄は大きく落ち込んだ。一方、県南部では登熟期の条件が十分に整わず、期待したほどの収量や品質が得られなかった。

苗づくりに生きた冷害の教訓

育苗期には、過去三年の冷害経験が確実に生かされた。中苗・成苗の増加、うす播きの徹底、パイプハウス育苗の普及などが進み、出芽や苗立ちはおおむね良好だった。4月27日の強風による一部まき直しはあったものの、苗立枯れ病やムレ苗は少なく、苗不足も見られなかった。

田植えは県南部で平年より2~3日早く進み活着も順調。しかし県北部では低温期と重なり、初期生育の停滞が目立つ結果となった。

分けつ・登熟期の苦戦

6~7月の低温と日照不足は、分けつや幼穂形成に深刻な影響を与えた。県中南部では多けつ型となったものの最高分けつ期が遅れ、北部では少けつ・遅発で生育全体が後ろ倒しに。出穂は県中南部で3~4日、県北部では7~9日遅れた。

登熟期には高温による回復が見られたが、栄養不足や日照不足、高夜温などが重なり、ササニシキを中心に登熟歩合は低下。未熟粒の多発は、品質面でも大きな課題を残した。

数字に表れた「平年並み」とその内側

最終的な作況指数は99。しかし地域別に見ると、北上川上流100、下流99、東南部95に対し、下閉伊91、北部90と大きな差がある。市町村単位でも「やや良」から「著しい不良」までばらつきが広がり、沿岸部を中心に地域経済へ深刻な影を落とした。

検査成績では一等米比率が69.4%と、三年ぶりに60%台を回復。ただし県北・沿岸部では二等米比率が高く、品質格差は依然として大きい。

減反政策と今後の課題

水稲農業共済金の支払額は総額11億円余りと、冷害年に比べ大幅に減少。農家戸数も半減した。一方で、第三期水田利用再編対策が始まり、転作や加工原料米など新たな対応も求められる時代に入った。

昭和58年の稲作は、確かに「平年作」を取り戻した。しかし、異常気象が常態化しつつある中で、兼業化による生産力低下や技術の継承、地域農業の再編といった課題は重くのしかかる。
この年は、冷害を乗り越えた安堵とともに、気象変動に耐える農業への転換を強く迫られた節目の一年だったと言えるだろう。


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