東北自動車道青森線の岩手県内区間が全通(S58.10.20)
昭和58年10月20日、東北自動車道の安代インターチェンジ(IC)―鹿角八幡平IC(秋田県)間26.1キロが開通し、いわゆる「青森線」は岩手県内で全線がつながった。これにより、浦和から青森へ至る大動脈の完成に大きく近づき、東北地方は名実ともに高速道路時代へ踏み出すことになった。
14年がかりの大事業
この区間は昭和50年10月に土木工事へ着手。総事業費は749億円にのぼり、1キロ当たり約29億円という当時としても巨額の投資が行われた。岩手県分16.4キロ、秋田県分9.7キロで、沿線には田山・湯瀬の2か所のパーキングエリアが整備された。
区間内には延長1,200メートルの田山トンネルをはじめ8本のトンネル、居熊井橋など21の橋りょうが連なる。豪雪地帯であるため、トンネル出入口のロードヒーティング、雪崩防護柵、十分なたい雪幅、非常電話の増設など、対雪対策が随所に施されたのが特徴だ。
秋空に舞った千の風船
開通式は鹿角八幡平IC手前の本線上で行われ、岩手・秋田両県の関係者、日本道路公団幹部らがテープカット。続いて地元首長や地権者代表によるくす玉割りが行われ、千個の風船が秋空へ放たれた。式後は約330台の車が連なり、田山パーキングエリアまで往復10キロの祝賀パレード。鹿角市記念スポーツセンターでは祝賀式典も開かれ、秋田県では初の高速道路開通として大きな注目を集めた。
時間短縮と交通の変化
鹿角八幡平ICの開通で、盛岡―鹿角間は約2時間から1時間半以内へ短縮。翌10月24日からは、県北・秋北・国鉄のバス3社が東北新幹線リレー特急バスを運行し、盛岡駅―花輪駅間を最短1時間25分で結ぶようになった。十和田湖方面への所要時間も短くなり、観光動線は大きく改善された。
交通量は着実に増加
開通初年度(58年度)の安代―鹿角八幡平間の交通量は、入口17万8千台、出口18万3千台の計36万1千台。1日平均では2,219台となった。特に冬季は八幡平・安比などのスキー場利用が伸び、秋田・青森方面からの流入が目立ったという。
観光と産業への波及
高速化の効果は観光にも表れた。鹿角市では旧鉱山坑道を活用した観光施設「マインランド尾去沢」が好調で、来場者は年々増加。高速道路の整備が人的交流だけでなく、産業・経済・観光の結節点を押し広げたと分析されている。
一方、花巻市では花巻南ICの新設計画が進行中。用地交渉を経て60年度完成、60年春の供用開始が見込まれ、利用者から不満のあったIC間隔の解消が期待されている。さらに、安代ICで分岐する八戸線も段階的に整備が進み、将来は首都圏から北海道中央部への最短ルートとしての役割が見込まれている。
高速道路時代、その先へ
名神高速道路の開通から21年。東北・東名・名神・中国・九州の縦貫5路線は9割が完成し、青森から鹿児島までが高速で結ばれる時代が現実となった。今後は横断道路の整備が焦点となり、岩手県でも内陸と沿岸を結ぶ独自の高速関連整備が進められている。
本県を縦貫する高速道路を、いかに観光と産業の力に変えていくか——。昭和58年の全通は、その出発点でもあった。