県内12市町村でミニ国体開催(S49.9.6)
昭和49年から50年にかけての郷土のスポーツ界を振り返る上で欠かせない出来事が、全国に先駆けて実施されたミニ国体こと第1回東北総合体育大会の開催です。9月6日から9日までの4日間、盛岡市を中心に県内12市町村の35会場で繰り広げられたこの大会は、東北6県の体育協会が結束し、それまで各競技でバラバラに行われていた国体予選を一本化した画期的な試みでした。
当時の社会情勢はオイルショック直後という厳しい経済状況にあり、大会運営は大きな困難に直面していました。予算の削減により、華やかな開会式などは中止を余儀なくされ、競技本位の簡素な大会としてのスタートとなりました。しかし、この制約が逆に東北スポーツ界に新しい風を吹き込み、お祭り行事ではない実力重視の大会という独自のイメージを築くことにつながりました。
競技会場では、悪天候や施設の問題を跳ね返すような熱戦が展開されました。特にウエイトリフティングでは福島の福島良一選手が自らの持つ日本記録を更新し、宮城の佐藤光正選手も高校新記録を樹立するなど、地方大会の枠を超えたハイレベルな記録が次々と誕生しました。射撃においても岩手県警の家子寿選手が日本タイ記録をマークするなど、選手の層の厚さを証明する大会となりました。
地元岩手県の選手団は約1000人の大所帯で臨み、ライフル射撃、ラグビー、サッカー、アーチェリー、ソフトボールの5競技で総合優勝を果たしました。特にラグビー一般の部では新日鉄釜石が秋田市役所と激戦を繰り広げるなど、地域の誇りをかけた戦いが観客を魅了しました。最終的な成績では秋田県に次いで青森県と並ぶ総合2位に食い込み、開催県としての意地を見せる結果となりました。
会場が広域に分散したことで運営上の苦労もありましたが、手作りの運営で大会を成功させた経験は、その後のスポーツ振興において大きな財産となりました。派手な演出はなくとも、競技の質と運営の熱意によって成功を収めたこの第1回大会は、岩手県のスポーツ史に確かな足跡を残しました。